我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

台湾ちまちましたこと特集

先月、久しぶりに台湾に行きました。掘り下げて書く話ではないけれど、こんなこともあったなあ程度のことの羅列です。

地下鉄路線図に緑色で描かれている松山新店線に乗った時、萬隆駅だったと思うけれど、入り口外側に小さな札が貼り付けられていて、防空壕を示す中国語3文字が書かれていました。その札が妙に新しい感じがしたものだから、以前からあったのかもしれないけれど、色鮮やかで、少し心がざわめきました。お天気が良くて、カキーンと音がしそうなくらい太陽が照りつけた日だったので、実際よりも色鮮やかに見えたのかもしれません。

台北駅北側の派出所の向かいにある、ぼろパンが気に入りました。焼きたてのパンを食べたくて、毎朝7時に通った窓口販売のパン屋さんです。味を問わないならコップにたっぷり注いでくれるコーヒーもあります。ツナパンのツナのボリュームが半端じゃなくて、これ一つで十分ランチにもなりました。

ランチ兼おやつなら、二二八和平公園の東側の出口の所にある老牌公園號の中華パンもお気に入りです。

夜は、池上弁当に通いました。食堂で食べると麺一杯でも量が多くて食べ過ぎるのだけれど、お弁当はちょっと軽めでちょうど良い量です。素食がマイブームなので、お肉の弁当だと違う感想だったかもしれません。

今回は機内食ベジタリアンでお願いしました。スターラックスのベジタリアンメニューは1種類で、ナスをイタリア風にして出せばいいってもんじゃないよね~と思いつつ食べましたが、大半を残しました。まだ改善の余地ありかなと、勝手ながら思いました。私の好き嫌いの問題かもしれないし、到着後すぐに美味しい夕食を食べに行く約束があったので、これを食べなくてもいいわと思ったのかもしれません。

中華航空ではオリエンタルベジタリアンを注文して、こちらは、美味しかったです。メニューが一種類なのかわかりませんが、次も頼もうと思いました。

そういえば、中華航空の帰路便の座席をオンラインチェックインの時に変えたせいか、搭乗口で呼び出されました。ベジタリアンミールで直前に座席を変えられたものだから、本人に確認したかったのでしょう。私はベジタリアンでしたが、隣席のユーチューバー風の台湾のお嬢さんは果物プレートを頼んだらしく、私たち二人の食事は一般客よりも先にサーブされました。搭乗口での呼び出しとか、先にご飯食べてる人とか、これまで見かけたことはあったけど、こういう事情だったのね~と思いました。

久しぶりの台湾だから、もっといろいろ書きたい気もするけれど、ちまちました、どうでもよさそうなことが頭の隅にずっと居座ってきました。ここに書いたら、明日は忘れているかもしれないけれど。

手配師復活

慣れていたはずの、海外旅行の手配に戸惑う私。この日程でお休みをとっていいのか、この時間と価格でチケットを予約していいのか、何でもないことに時間を費やしている間に、予定していた日時の便が完売になり、一日出発を早めることにしました。何より、コロナの間に便数が減り、週末の午前出発便がなくなって、とても不便です。順調に飛んでもホテル到着がほぼ真夜中、といったフライトしかなかったので、2つの航空会社で片道ずつ予約し、料金アップ。旅行中、現地での仕事もあるので日程は動かせず、仕方ない。

次はホテル。どこにしよう。どの都市に泊まろうか。その前に、行ったら何をするか決めていなかった。遠出するプランを立ててみたりするけれど、仕事が詰まっている時期だからあまり疲れないプランがよかろうと組み直し。そうだ、そうだ、この時間が楽しいのだった。円安でホテル代は高いけれど、いつものホテルに連絡したら、いつもの親切なメールが返ってきた。とりあえず、行こう。

兆し

昨年10月から面倒な手続きなしに台湾と往来できるようになったのに、年度末まで引き受けている仕事の関係で、海外どころか、まだ国内旅行にも行けずにいます。周囲の人たちが次々と海外へ旅行や仕事や長期滞在で出かけるのを見送りながら、自分だけ取り残されていくような感覚を覚えていました。口には出しませんが、悶々とした日々を送ってきました。友人たちも、私が行きづらい立場にあることをわかっていて、渡航の話題を避けていたかもしれません。そこまでされなくてもよいけれど、思いやりなのかな。

複雑な思いを抱えたままでしたが、私にとってのリスタートはもう少し先に必ず来る、と信じてやり過ごしてきました。今の職務に就いている限り、海外に行っても仕事が気になって落ち着かないことはわかっていますので。

そして、先日、3年ぶりに台湾へ行ける機会を作って頂きました。重なる時は重なるもので、4年がかりになる台湾関係の仕事に予算をつけてもらいました。知らない人から応援してもらったような気がして、うれしかったです。これとは違うところに申請した企画が通り、7月は毎週末に台湾に関するちょっとしたイベントをすることになりました。媽祖様は、私のことを忘れていなかった、と思います。台湾で会いたい人、行きたい場所がたくさんあって、とても悩んでいます。

その前に、来週月曜日、都内のイベントに参加します。なんだろう、台湾との関係をリスタートさせる前に、清算しておきたいことは清算しておこう、という気分です。私のコロナ禍との決別でもあります。

黒豆

2021年の年末は散々でしたが、2022年末は、諸々落ち着いてきたこともあって、黒豆くらいはと、自分で作りました。作ると言っても、材料揃えて時間見計らって煮るだけですが…。

晦日に友人がインド料理のランチボックスを持って来ることになり、ならば少ししゃれた飲み物と、御節料理のあれこれを買って来ようと市場に出かけました。デパ地下では黒豆1400円とか2100とか、目が点になるようなお値段でしたが、市場では100グラム350円。他人の作った黒豆と自分のを食べ比べてみようと思い、100グラム頂きました。

帰宅したら、猫の保護主さんから黒豆が届き・・・お礼を申し上げつつ、心の中では、2023年はとにかくマメに働きまくるしかないと諦めました。

ということで、3種類の黒豆を元旦の朝から食べ比べました。保護主さんの黒豆は、一番粒が大きくて一番柔らかい。市場の黒豆はそこそこ粒が大きくて、保護主さんのより少し歯ごたえがある感じ。どちらの黒豆も、正統な甘さ。

私の黒豆は、標準よりもお砂糖がかなり少なめ、たぶん普通の3割程度、白砂糖がないので黒糖で代用。甘い豆があまり好みではないので、砂糖はいつも半分程度しか入れませんが、今年はもっと少なめにしてみました。一番粒が小さくて、歯ごたえがあって、甘くないのが私流。自分では美味しいと思っていますが、やわらかくて甘い黒豆が好みの方には、半煮えで食べられたものではない、と言われるかもしれません。

黒豆、なかなか減らなくて困っていますが、他人のものと食べ比べできたのはよかったかもしれない。自分が「普通」ではないこと、でも自分は満足していること、みんな違ってみんな素敵であること、改めて感じました。

うちの子記念日

昨日はうちの子記念日でした。

お休みをとろうと思ったのに、用事を思い出して仕事に行って。飼い猫にとっては全然特別ではない一日だったと思います。特別だったとしたら、前日2時過ぎまで文章を書いて再々締切を2時間ちょっと過ぎて原稿提出した飼い主が、ベッドに入って3時間後に飼い猫に叩き起こされたせいか、昨夜は夜9時ごろ炬燵で転寝3時間。3時間は、転寝ではないですね。

あまりに酷いと思ったのか、寝ている私の頭の横で毛づくろいされて、その振動で目が覚めました。それから片づけだの風呂だの・・・「今日はうちの子記念日だからたくさん遊ぼうね」と言った約束を反故にした飼い主に、あきれたに違いない・・・しかも朝一番で爪切られたし・・・特別マイナスな日だったかもしれません。

でも飼い主は、ずっと引きずっていた原稿を出して、修正要求は出てくるでしょうが、とにかく先が見通せるようになりました。管理職も、めでたく再任の見込みなしとなりました。私が知る限り初めてトップリーダーの複数立候補となり、所信表明と何をやるつもりなのかを文書にまとめて送ってきた女性候補の推薦人に名を連ねました。有力候補は名前だけでよろしくと言ったらOKと思われたのか、それはあまりに人を見下していますよ、とお伝えする機会はありませんでしたが。

結局、新しいボスの推薦人にならなかったことが、えらく気に障ったようで、「3月で終わりですね、おつかれさまでした」とエレベーターホールで立ち話のように通告を受けました。その後はすれ違っても挨拶されなくなった近未来のボスに対して、心は私よりちっちゃ!と思ったりする飼い主を、押し入れの枕棚の上からこっそりのぞく人がいます。この人は飼い主のことをどう思っているのか、今はそちらの方が気になります。たぶん、間違ってないよと言ってくれると思います。

こうなると、4月以降の予定に気持ちが集中するのは抑えられず、収入は減るけれど心はハッピー、物価高の時期に収入減は嬉しくないけれど、お金じゃ買えない幸せが今は膝の上にある。そんなふわふわした日々を送っています。1年でこの家を占拠した枕棚の上の人も、ふわふわです。これからもよろしくよ😊

駆け落ちの先

先日、「パイナップルツアーズ」、「ナビィの恋」、「ホテル・ハイビスカス」を観ました。それぞれ趣は違いますが、どれも生きることへの執着と喜びが感じられる、野性的、原始的と言いたくなるギラギラした沖縄が描かれた作品たちです。沖縄の風景だけではなくて、湿度が伝わってくる作品だと思います。

「パイナップルツアーズ」と「ナビィの恋」では、大和の男が島の女に婿入りします。これって、何を表しているのか。

ナビィの恋」では孫娘は東京から帰ってきて定住し、ナビィおばあは昔の恋人と共に島を出ていきます。島の中と外という二つの世界観を感じさせる一方で、海の向こうにあるのは沖縄本島なのか、本土なのか、ブラジルなのか、ニライカナイなのか、見えないところが興味深い。ナビィにとって島の外の世界って何だったのか。いろいろなところに制作者が意図したかもしれない仕掛けが感じられる映画です。

気になることはたくさんあるのですが、60年前の約束を果たそうとするサンラーとナビィの話は、「海角七号」を思い起こさせました。前者は海に乗り出しての駆け落ち成功、後者は本人同士の再会はかなわなかったけれど日本人男性の手紙は年齢を重ねた台湾人女性トモコに届きました。敗戦時、トモコは白い帽子を被ってトランクを下げて基隆の港に立ち、男性を乗せた船が出港するのを見送りました。冬支度のようなトモコの洋装は、出来ることなら一緒に船に乗って駆け落ちしたかったのではないかとも思います。若い時にはしがらみやあれこれ考えてしまって駆け落ちに失敗するのか。その後悔を知っているから、ナビィはセカンドチャンスを逃さなかったのか。

台湾ドラマの「いつでも君を待っている」でも、年齢を重ねた後で再会する恋人たちの話が織り込まれています。子供をもうけながら家柄の違いで引き裂かれた二人は、数十年後に男性が経営するよろず屋の店の前のベンチに並んで座り、ひと時を過ごして再び別れて行きます。偶然かもしれないけれど、台湾の映画やドラマが高齢者の恋愛を純愛仕立てで描いたのに対し、「ナビィの恋」は生への執着を感じさせます。若い娘のようにそわそわするナビィの振る舞いは、何もかもお見通しの年下の連れ合いである恵達おじいの前で、少し滑稽で、可愛らしく見えます。もうこんな年だから純愛でいきましょうとはならずに、サンラーの漕ぐ船で駆け落ちするナビィは無邪気にも無謀にも見えるし、達観しているようにも見えます。

ナビィの恋」を観終わると、自分が恋愛の年齢制限を設けていたことに気づきました。高齢者の再婚とか、他人事として聞く分には「いいんじゃない、本人がよければ」と思っていたのですが、自分が駆け落ちするっていうイメージはありませんでした。

ある程度の長さを生きてくると、あれこれ考えずに受け入れてもいいかもと思えるのかもしれません。「老い先」も未来ですから。

私が断られた日

父がすごい剣幕で新聞記者を追い返したことがあると書きましたけれど、私もすごい剣幕でインタビューを断られたことがあります。

大学の卒業論文でインタビューを重ねていた時のことです。お役所や学校や当事者等、皆熱心に話してくれたので、次もそうだろうと思ってしまったようです。こういう目的で話を聞きたい、ついてはアポを…と電話したら、「学生さんの卒論のために話すことはない」と言われました。「こっちは毎日真剣にやっているんだ。卒論書いて卒業してハイ終わり、という大学生と違うんだ」…そんなつもりじゃなかったのに、と思いましたが、すぐに思い直しました。私はいったいどんなつもりだったのだろう。自分のやっていることがわからなくなって、大学の教員に話しましたら、そういう人もいるよ、気にしなくてよい、みたいな返事が返ってきたように記憶しています。先生が落ち込む学生を慰めるだけならそれでよいと思うけれど、先生は私の質問に答えることはできなかったのだと思います。

インタビューを断られたことは、今でも私に影響を与えていて、人に話を聞く時、もう一歩踏み込んで聞けないことがあります。