我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

年明け早々にやったこと

年末は、掃除や料理に追われることなく、猫や友人とゆったり過ごしました。

気になった時にちょこちょこと掃除をしていたこと、急がなくてもよい仕事は年明けにすると割り切ったこと、お節は作らず、昔ながらの市場で顔なじみになったお総菜屋さんで買いそろえたこと、年賀状を郵便局が受け付け始める日に投函すると決めて書き終えたこと。ほう、年末年始って、こんなにゆっくり時間が流れるのか。家猫も機嫌がよく、よく食べ、よく遊び、よく遊び、よく寝る。

タイトルの話はここから。昨年最後の資源ごみを出す日と出張が重なってしまったので、新聞と本の束を倉庫に積んでいたのですが、今朝、それらも処分しました。

捨てたのは20冊近い料理本。初めての一人暮らしは大学を出て就職した時でした。その頃に買った「料理の基本」的な1冊には、キュウリの塩もみや卵焼きの作り方、ハンバーグに肉じゃが、煮魚まで出ていて、家庭科入門みたいでした。とはいえ、普通のお料理本なので、パエリヤや手作りちらし寿司も出ていて、これ1冊あれば一生困らないような本。就職した最初の1年で、この本のレパートリーをすべて順番に作ってみて、「私、料理できるじゃん!」と変に自信を持ったことを覚えています。本を見ながらその通りに作れば、誰でも作れます。

その1冊から始まって、NHKの『今日の料理』が十数冊。お弁当やおつまみ、向田邦子のお料理本。並べてみると、お菓子に関する本はない。私の場合、逆立ちしてもお菓子は買った方が美味しいと経験的にわかっていますから、買わない。おつまみの本にいたっては、自分が飲酒しないので家で開いた覚えはなし。お弁当読本も、なるほど~と思って閉じる程度。中華料理の本だけは使い込んでいましたが、今ではいちいち調味料とか量らないし、創意工夫をしてもそれなりに味が決まるので、本は不要。ネットで調べれば、今どきの調味料や料理器具ごとに的確なアドバイスも書いてあるし、というわけで、昨年春にまとめて倉庫の奥に積んでみたところ、一度も引っ張り出す必要はありませんでした。

もうひとつ、数日前に、少し遅めの初詣に出かけた際に、家にあったお守りを、台湾で頂いた一つを残してすべて返納しました。昔から神社に行けばお守りを買うのが趣味でした。お守りは、私の不安の裏返し。すぐには捨てられなくていつの間にかポーチにまとめて入れるほど増えていましたが、こうなるとバッグの中で邪魔になるので持ち歩かなくなります。それで、昨年あたりから、鈴付きのお守りは猫のおもちゃになっていました。

いつかお守りマイブームが再来するかもしれないけれど、お守りを持っていても飛行機は揺れますし、失礼な人に当たることもありますし、酷い腰痛に見舞われることもあります。私の人生、生き様、これで上等、神様に頼る前に出来ることはまだある、といった感じでしょうか。自分の力を超えるものへの畏怖や祈りの気持ちは持ち続けると思いますが、それをお守りという形にしなくてもよくなったのかもしれません。何かが起きたらどうしようと怖がるのではなく、何かが起きても受け入れようと、今はそう思っています。