我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

駆け落ちの先

先日、「パイナップルツアーズ」、「ナビィの恋」、「ホテル・ハイビスカス」を観ました。それぞれ趣は違いますが、どれも生きることへの執着と喜びが感じられる、野性的、原始的と言いたくなるギラギラした沖縄が描かれた作品たちです。沖縄の風景だけではなくて、湿度が伝わってくる作品だと思います。

「パイナップルツアーズ」と「ナビィの恋」では、大和の男が島の女に婿入りします。これって、何を表しているのか。

ナビィの恋」では孫娘は東京から帰ってきて定住し、ナビィおばあは昔の恋人と共に島を出ていきます。島の中と外という二つの世界観を感じさせる一方で、海の向こうにあるのは沖縄本島なのか、本土なのか、ブラジルなのか、ニライカナイなのか、見えないところが興味深い。ナビィにとって島の外の世界って何だったのか。いろいろなところに制作者が意図したかもしれない仕掛けが感じられる映画です。

気になることはたくさんあるのですが、60年前の約束を果たそうとするサンラーとナビィの話は、「海角七号」を思い起こさせました。前者は海に乗り出しての駆け落ち成功、後者は本人同士の再会はかなわなかったけれど日本人男性の手紙は年齢を重ねた台湾人女性トモコに届きました。敗戦時、トモコは白い帽子を被ってトランクを下げて基隆の港に立ち、男性を乗せた船が出港するのを見送りました。冬支度のようなトモコの洋装は、出来ることなら一緒に船に乗って駆け落ちしたかったのではないかとも思います。若い時にはしがらみやあれこれ考えてしまって駆け落ちに失敗するのか。その後悔を知っているから、ナビィはセカンドチャンスを逃さなかったのか。

台湾ドラマの「いつでも君を待っている」でも、年齢を重ねた後で再会する恋人たちの話が織り込まれています。子供をもうけながら家柄の違いで引き裂かれた二人は、数十年後に男性が経営するよろず屋の店の前のベンチに並んで座り、ひと時を過ごして再び別れて行きます。偶然かもしれないけれど、台湾の映画やドラマが高齢者の恋愛を純愛仕立てで描いたのに対し、「ナビィの恋」は生への執着を感じさせます。若い娘のようにそわそわするナビィの振る舞いは、何もかもお見通しの年下の連れ合いである恵達おじいの前で、少し滑稽で、可愛らしく見えます。もうこんな年だから純愛でいきましょうとはならずに、サンラーの漕ぐ船で駆け落ちするナビィは無邪気にも無謀にも見えるし、達観しているようにも見えます。

ナビィの恋」を観終わると、自分が恋愛の年齢制限を設けていたことに気づきました。高齢者の再婚とか、他人事として聞く分には「いいんじゃない、本人がよければ」と思っていたのですが、自分が駆け落ちするっていうイメージはありませんでした。

ある程度の長さを生きてくると、あれこれ考えずに受け入れてもいいかもと思えるのかもしれません。「老い先」も未来ですから。