我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

名前/Name/名字

『なまえのないねこ』という絵本を読みました。じゅげむに名前探しの旅を勧められるあたりから、涙腺が緩んでくる絵本です。背中を向けて泣きながら、時々ティッシュで鼻をかんだり涙を拭いたりしながら絵本を読む私の姿を、うちの猫は怪訝そうに眺めていたようです。

名前のない猫が出した結論は、猫だけじゃなくて、誰にでも思い当たる節がある一般性をもっています。だから、読み終わっても涙が止まらないわけです。

 

我が家の猫は、うちに来る前はミケちゃんでした。ミケちゃんと呼ばれたのは、ひと月くらいだろうと思います。声に出して呼ばれたのは、たぶん朝と夜と動物病院に行った時。それから、「ミケちゃん(6か月)」と書かれた札が、譲渡会のケージに、ミケちゃんからは見えない向きに貼られていました。ただ、譲渡会は一度で終わったので、ミケちゃん札は不要になりました。今、「ミケちゃん」の痕跡は、最初のワクチン接種と避妊手術でお世話になった病院の領収書に一行残るだけです。

 

今は、飼い主の苗字と相性の良い名前、そして、動物病院で呼ばれてもさまになる名前、を持っています。この名前を本人が好きかどうかはわかりませんが、その名前は自分のものだと認識しているようです。「かわいい猫さん」も「美人ちゃん」も「べっぴんさん」も、自分のことだと認識しているようです。

一人っ子なので、他の猫は一律ニャンコ、犬はワンコ、鳥はトリさん、鼠はネズミさん、虫は一律ムシさん、私が特に認識する必要のない人間は、赤ちゃん、ちっちゃい子、オジサンで済まされます。うちの猫は、「ちっちゃい子」が一番苦手です。

 

猫は名前をもらい、私は新しい自分を貰いました。飼い始めて一番変化したことは、部屋のドアというドアをすべて開けっ放しにするようになったことです。窓もよく開けるようになりました。おかげで、心の風通しもよくなった気がします。