我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

フラッシュバック

過去を振り返っても戻れるわけではないから時間の浪費かもしれないけれど、時々思い出すことがあります。

その日の朝、台湾・花蓮の定宿をチェックアウトした時、いつもと同じようにフロントの女性が花蓮駅まで車で送ってくれました。

友人の紹介で泊まり始めた小さなホテルだから、社長さんはじめ従業員の方はみんな私の顔と名前を覚えてくれていました。たぶん…最初に泊まった夜から体調崩したり、病院だ、薬だ、お粥だ、道に迷ったと、いろいろお騒がせしたから、そして毎回遠慮せずに甘えたから…花蓮駅に着くと迎えに来てもらい、帰る時は駅まで送ってもらう。ホテルのサービスだけど、駅までの5分余りの時間に、「ありがとう」「また来てね」から少しはみ出た会話が旅の栞になる。

2019年の秋、アミ族の女性従業員が帰りの車を運転してくれました。その時の花蓮訪問はクバラン族に会うためだと、ホテルの人は知っていました。何しろ、私はフロントであれやこれや話すから。アミ族の従業員と向かった駅への道はいつもと同じなのに、少し時間がゆったり流れたような気がしました。小柄で筋肉質の彼女は、少し低い声で言いました。

あなたはクバラン族に会いに行ったのね、私の弟はクバラン族の部落の辺りに住んでいるのよ、私も行ったことがあるけど、とても美しいところよ。

彼女はゆったりと、歌うように、詩を読むように話しました。彼女が中央山脈の話をするのを聴いていると、眼前に青くそびえる山の頂上に私もいつか立てるような気がしました。

次に花蓮を訪問した時、2020年2月のその日、台北に戻るために中国語のわからない同行者と荷物をワゴン車の後に詰め込んで、私はいつものように助手席に座り、運転してくれた女性と世間話をしながら駅に向かいました。この人は、コロコロした可愛らしい声で話す、力持ちだけど体躯の細い女性です。ホテル到着時にはいつも「おかえり~」と笑顔で迎えに出てくれた人です。

その日、花蓮駅に着いて、他の車の邪魔にならないようにさっさと荷物を下ろして、「また来るね、Cさんによろしくね」と手を差し出したら、運転してくれた女性が私を抱きしめ、泣きながら「体に気をつけてね」と何度も言いました。いつも、笑顔で「またね~」と言うのに、その日は「元気でね」としか言わなかった。

彼女はその後の1年がどんなふうになるのか知っていたのか。そんなはずはないと思うけど、虫の知らせなのかなあと思ったりします。

以来花蓮に行きたくても行けないから、なおのこと、こんな光景がフラッシュバックで思い出されます。私の「台湾」は、こんな小さな触れ合いの積み重ねで作られています。