我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

コロナ小括

まだ第何波かが来るかもしれないけれど、コロナ小括。

何処へも行けなくて、つまらなかったような、ほっとしたような。

後者だと思います。ここ10年ほど、私にしてはよく出かけました。週末も平日も、仕事でも私生活でも、よくパスポートを使いました。国内に居ても、地域のことを知ろうと、よく出かけました。その合間に仕事をして、そのうち時間が足りなくなって、移動中もパソコンを開いて仕事をするスタイルになり、中国でウェブサイトに入れなくて「えーーっ」と思ったり、台湾から中国のウェブサイトに入れなくて「え―――っ」と思ったり、ということもありました。知らない土地、初めて見る風景、仕事の後で駆けつけてくれた人、偶然出会った人。最初は物珍しくて、好奇心を満たすだけで十分だったのに、後半は、自分の考え方を根底から揺さぶられる思いを何度もしました。私、こんなに長く生きて来たのに、何も知らない。何を見てきたのか。何をしてきたのか。自問自答ばかりで、何も生み出すことができなかったように思います。

それでも人間は少しずつ必ず前に進むものらしく、まだ何も形にしていなくても、余計な制約は一つずつ捨てて来たように思います。

新型コロナウイルスは、一時、私の思考も停止させたけど、少し体を休めて、今までの歩みを振り返る時間をくれました。それから、これからのことを考える時間もくれました。もしかしたら今は前半戦かもしれないけれど、例え後半戦があっても、頑張れるような気がします。