我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

桜の話

黒井千次という人だったように思うのですが、もしかしたら、勘違いかもしれません。

中学校の国語の時間だったと思いますが、どこの教科書とか、何学期に習ったかとか、関心のないことはさっぱり記憶に残っていません。ただ、素敵な随筆が、そこに載っていたという、それだけです。

桜の樹は、樹皮の下に隠れて外からは見えないけれど、つぼみをつける前からその全体がピンク色なのだという話です。桜の花は、全体のピンクのほんの一部が表出したにすぎないという、この話がとても好きです。

確か、ピンクという言葉が使われていたように思うのです。教科書にピンクという言葉が出てきたのは、その時が初めてで、そのせいで、アイボリーの紙に黒字が印刷されただけの教科書のページが、そこだけ薄ピンクに見えたのです。

この随筆に出会ってから、満開の桜よりも、冬の桜、枝が張っているだけの桜、蕾がやっと枝先に現れた頃の桜が好きになりました。そういう桜の樹皮に触れてみるのが好きです。

この話を解説してくれた当時の国語の先生は、言葉を選びながら「妖艶」と表現しました。なんだかドキドキしました。大きな黒縁の眼鏡をかけた内向的で病弱な知識人を絵に描いたような方で、どこかに肘をつかないと体を支えていられないようで、髪だけはいつも真っ黒に染めていらしたけれど、あまりに痩せすぎて中年なのか初老なのかわからなかった。とても神経質で、声が小さくて、気に入らない時は舌打ち。でも、この方の授業は素晴らしかった。そして、生徒たちはこの先生を嫌っていなかった。といいますか、嫌うより前に、いつ倒れるか心配で、生徒たちは授業そっちのけで先生の見守りをしている気分だったわけです。

桜も人も、愛され方はいろいろです。