我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

歴史って何よ?的なこと。

朝の連ドラが発端なのですけど、どうして私の思考はこっちに行ってしまうのでしょうね。

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中国の抗日ドラマが延々と放送され続けていることは、わりと知られていると思います。そちらも見慣れて、日本を振り返ってみると、あの時代の描き方がかなり違います。

中国では、一般庶民の生活よりも、軍事や兵士や要人がどれだけ懸命に日本軍や国民党軍と戦ってきたのかがメインストーリーです。大陸のドラマのつくり方に賛同するわけではないのだけれど、戦闘流血シーンが多いので命かけてるぞ、こんなに頑張ってるぞと主張します。

日本では、たまにそういうのも映画とかでありますけれど、たぶん8,9割は空襲を逃げ惑う庶民が描かれます。耐乏生活を強いるのは自分が住む町内の人たちで、軍人さんも出てきますけど、あの時代は大変だったね、戦争は嫌だね、という流れの中で、悪者がはっきりしない、責任を問わないストーリーだと思います。人間や社会の複雑さを描く点は日本のドラマの優れたところかもしれないけれど、権力機構の責任を問えない社会になっていなければいいけど、とも思います。

空襲の中をおろおろ逃げ惑う庶民が日本人にとっての「あの時代の日本(人)」。中国では日本の攻撃の中を中国人がおろおろと逃げ惑う。単純に比較するわけにはいかないけれど、歴史認識で一致しないのは当たり前かしら。こういう時、ワン・ジョンが言った、集団としての記憶(イメージ)という話が脳裏に浮かびます。

同じように、戦後がいつから始まるのか、戦後がどんな時代だったのかも、たぶん国や地域によって違うのだと思います。1945年を境目と見る教育がまかり通る一方で、境目と位置づけるのはいかがなものかという議論はずいぶん前からあります。連続性、非連続性という文脈で戦犯(権力機構)や国家の官僚機構を考える議論もそうした流れの一部だと思います。こむずかしい議論をしなくても、「一般的」な見識が取りこぼしてきた「境目」にあたる地域では、「一般」が語って来なかった「戦後」があったようです。ここ2年ほど読み漁った、八重山という地域を語った文献がそれを教えてくれました。

ちょっと問題が大きすぎてまとめきれなくなっていますが、朝の連ドラって必ず昭和20年が出てくると思ったのです。東京大空襲、大阪の大空襲、でも、広島や長崎の原爆は国営放送では描けないでしょう、と思います。ひねくれていますか。子供の頃に『はだしのゲン』や『夢千代日記』を見ていたので、若干感覚がずれているのかもしれません。その映像に、実体験。子供の頃、祖母に連れられて参った横川の墓地では、墓石が半分溶けていました。ドラマが描く「あの時代」は、私の心の中でもちょっと違和感があるのですよね。

どんどん話が流れて行ってしまうので、今日はここでやめます。