我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

破壊から創造へ

2018年12月31日の最後の数分で書くには重すぎる話ですが、

この2,3年は、私にとって破壊の年であったように思います。

それまで当たり前であったこと、こうするものだと思い込んでいたこと、私の中のいくつかの支柱にひびを入れるような、そのうちの何本かは壊れていくような、そんな時間であり、支柱を壊すという選択肢もあるのだと気づき、壊して視界を広くしてみようと思った時間でもあります。

一番大きな支柱は、私が幼い頃から、人はそう生きるものだと刷り込まれていたもの。それを軛だと判断するまでの長い時間。そんなこともありました。

世の中は平成を振り返るモードですが、私にとっての平成は、孤独な時間が多かったように思います。転職して、今の仕事に就くまでの長い長い準備期間。仕事に就いてからも、基本的には一人でやる仕事。目標もノルマも自分次第。自分次第だからこそ、自分に軛をつけてしまうこともあります。その軛を、取りたいと思って、取り始めたのが、この2,3年だと思うのです。

これからは、新しく何かを生み出す時期に入りたいと思います。ゼロからのスタートの部分もありますが、これまでの積み重ねと経験のかけらが土台になってくれそうな所もあります。自分の直感を信じて、自分が好きなことを、自分が楽しめるように、やってみたいと思います。これ、新年を迎えるにあたっての抱負になるでしょうか?

こんなことをつぶやいていたら、年が明けてしまいました。

新年快樂。豬年好運。

温もり

猫を抱いたのは初めてなのです。スコティッシュフォールドの子猫。生まれて数週間だそうです。

昔、小学生だった弟が子猫をTシャツの下に隠して下校してきたことがあって、動物嫌いの父にこっぴどく怒られ、元居た場所に戻して来いと言われて、しぶしぶ返しに行ったことがあります。弟は、子猫の温もりを小学生の時に知っていたのですね。

今日の子猫、今は飼えないので、抱っこだけ。ツルツルした生地のダウンコートに爪を立ててよじ登りながら、私を見上げミャーミャー鳴いておりました。

抱っこしたのが初めてだから、子猫の体温を感じたのも初めてです。人間の子どもの体温ぐらいあるかと思ったら、子猫のそれはほのかなポワンとした温もりでした。あのほのかな温もりがお母さんから離されているのは、不自然だと思います。

子猫が入れられていた展示ケースには、1年以内に亡くなった時や先天性疾患が見つかった時の保証があると書かれていました。

それがどうにも心に引っかかっています。子猫がモノ扱いされているような気がして。病気もせず、元気で寿命を全うしてくれるのが一番よいですが、でもね。23万円と消費税がつくから、1年保証が要るのではないでしょうか。

ペットを飼っていない私がとやかく言う問題ではありませんが、動物をお店で展示販売する仕組みには、心情的に賛同しかねます。ペットショップでの出会いがとても良い形で実を結ぶこともあるとは思いますが、命に値段をつける仕組みにも見えてしまいます。

飼えない私は、あのほのかな温もりを預けて来た子猫が一生可愛がられたらいいなあと思っています。

サンタさんのプレゼント

行ってみたい場所があります。

ギャラリーフタムラという所らしいです。

行きたいのに、らしい、といういい加減な書き方をするのは、ネットで調べただけだからです。

今、「南の島のクリスマス」展というのを南の島のホテルでやっていて、その作品がインスタにアップされていて、とてもチャーミングなさぼり気味のサンタさんのイラストを見ました。作家は誰だろうとホテルのHPを見て、それが山縣和彦という方の作品だと知りました。

その人の展示会、南の島以外でやっていないかとググってみましたら、今やっている情報はなかったのですが、今年4月に世田谷のギャラリーで個展を開いたことがわかりました。そのギャラリーを調べたら次の予定がわかるかと思ったのですが、山縣氏の作品情報は他になく、でも、このギャラリーではいろいろ素敵な催しがされているらしいことが、インスタを通じてわかりました。

近くはない場所ですが、近くまで赴いたら、ちょっと寄ってみたいですね。

南の島のクリスマス展のサンタさん、私にぴったりのプレゼントをくれました。

世田谷経由の出張、作らなきゃ、です。

山縣氏のサンタさんに感謝して、めりーくりすます。聖誕節快樂。

たまうどぅんの甕

暇があれば写真の整理。でも、一枚ごとに思い出があるから、なかなか進まないのです。いつどこで、だけではなくて、これを見ながらどんな話を聞いたとか、どんな人がそこに居たとか、あれは誰と会った日だったとか。

そういう周辺のことを気にかけるせいか、写真を撮った瞬間は、自分が撮っているものをよく見ていないことがあります。4月にたまうどぅんの資料館で撮ったこの写真もそうです。

洗骨という言葉が書かれていることに気づいたのは数か月後で、ネットで検索しましたら、「風音」という昔の映画と「洗骨」という名の未公開映画が出てきました。こういうデリケートそうなことをどんなふうに映画に取り込むのだろうと思って風音を観ましたら、風葬が間接的に描かれていました。

『動く墓』という本の中に、洗骨の話が出てきます。たぶん、私が洗骨という概念に最初に出会ったのはその本です。その時は、写真を見てもあまりイメージできませんでした。何度もその言葉を目にした後で、やっと、それがその地域の人々にとってはとてもデリケートな話題だろうと思いいたるようになりました。

『動く墓』を読んだ後に玉陵へ行って、そこでこの甕を見た時、ここに誰かが眠っていたのだと思ったら、背筋がゾクゾクしました。幾つもの甕が並べられている資料館も、玉陵と同じく死者のための空間だと思います。ああ、王様に生まれなくてよかった。死んだら棺の中まで公開されちゃう。

まだ封切られていない「洗骨」という映画は、奥田瑛二が主演のようです。監督はゴリさん/照屋年之だそうです。奥田瑛二が出るなら、観に行こうかな~と思っています。

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お蜜柑の季節

ご近所に住む中国出身の方から甘いお蜜柑を頂きました。

この方は、料理研究家でもないのに、美味しいものを見抜くのが上手いです。

手料理も上手で、たくさん作ったからと言っては餃子や大根餅など、ちょうどよい量で届けてくださいます。相手の負担にならない思い遣り、見習いたいものです。

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美味しいもの

中華圏に出入りしていると、いつも美味しいモノ食べてるでしょ、って言われます。

そうでもないです。その人たちが想像しているような中華料理と、私が現地で食べているもの、たぶんギャップがあります。でも、説明するのは面倒だし、自分も満足しているので、はいと答えています。

この間、那覇に行った時、公設市場で「沖縄でしか食べられないものが食べたい」とお店の人に言いましたら、じゃあこれにしたら、と勧められました。中味汁です。

ちょっとクセがありましたが、許容範囲。これとご飯とお漬物。気取らなくていいなあと思いました。

これ、台湾の四神湯に似ていますね。私が暑気あたりの時によく食べるやつです。

私、豚のホルモンはわりと好きです。子供の頃はとんちゃんが好きでした。

それにしても、那覇で食事に困ると公設市場の2階とあさひという食堂ばかり行っているような気がします。次は、別のお店にもチャレンジしてみたいですね。

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