我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

たまうどぅんの甕

暇があれば写真の整理。でも、一枚ごとに思い出があるから、なかなか進まないのです。いつどこで、だけではなくて、これを見ながらどんな話を聞いたとか、どんな人がそこに居たとか、あれは誰と会った日だったとか。

そういう周辺のことを気にかけるせいか、写真を撮った瞬間は、自分が撮っているものをよく見ていないことがあります。4月にたまうどぅんの資料館で撮ったこの写真もそうです。

洗骨という言葉が書かれていることに気づいたのは数か月後で、ネットで検索しましたら、「風音」という昔の映画と「洗骨」という名の未公開映画が出てきました。こういうデリケートそうなことをどんなふうに映画に取り込むのだろうと思って風音を観ましたら、風葬が間接的に描かれていました。

『動く墓』という本の中に、洗骨の話が出てきます。たぶん、私が洗骨という概念に最初に出会ったのはその本です。その時は、写真を見てもあまりイメージできませんでした。何度もその言葉を目にした後で、やっと、それがその地域の人々にとってはとてもデリケートな話題だろうと思いいたるようになりました。

『動く墓』を読んだ後に玉陵へ行って、そこでこの甕を見た時、ここに誰かが眠っていたのだと思ったら、背筋がゾクゾクしました。幾つもの甕が並べられている資料館も、玉陵と同じく死者のための空間だと思います。ああ、王様に生まれなくてよかった。死んだら棺の中まで公開されちゃう。

まだ封切られていない「洗骨」という映画は、奥田瑛二が主演のようです。監督はゴリさん/照屋年之だそうです。奥田瑛二が出るなら、観に行こうかな~と思っています。

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