我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

鉄棒

高齢の親がついつい自転車に乗って転んでけがをしたのは、親世代の価値観が高度成長期のままストップしてしまったからではないかと思ったりします。

早く、早く、早く。あれとこれを買って急いで帰らなきゃ。急いで帰ってお昼の支度をしなくちゃ。

いいえ、あなたを待っている人は、一食抜いたくらいで倒れるほど栄養状態が悪いわけではありません。何なら一日食べなくても大丈夫なはずです。文句は言うでしょうけれど。

何だかちょっと、昨年のプユマ号脱線事故を思い出してしまいました。

そんなに急いでどうするの。バブルを知っている娘が、ほんの少し警鐘を鳴らせるのは、大小さまざまな「島」でその地域の生活を少しだけ見せて貰ったからかもしれません。若い人が出て行ってしまった後の静かな島、急ぎたくても急げない年齢にさしかかった人たち、急いで行っても何もないからと急ぐことを止めてしまった人たち、急ぐことに疲れて田舎に帰ってきた人たち。急ぐことを止めた人たちは、我が道を歩き始めるのでしょうか。お元気で、他人にも動物にも優しいなあと思います。

でも、それだけではないですね。私の後の世代は、いろいろ違う価値観を出してきました。自分より若い人たちの行動に感心することも、よくあります。人間関係のさばき方も、学生時代にアルバイトで苦労した若い世代の方が上手かったりします。

高度成長期からバブルの人たちは、自分がしがみついている鉄棒から落っこちることが一番怖かったりします。中には、思い切って砂場に飛び降りてみようとか、隣の低い鉄棒に移ろうとか、いろいろ違うパターンを見せる人もいます。鉄棒にぶら下がる両腕が疲れてくると、落ちたくない気分と、砂場に降りてみたい気分が、私の心の中で駆けっこを始めます。手を離す勇気、なかなかないのですけれど。