我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

台所で立ち話

自分が貰ったのだから最後まで責任をとる。

80を超えた男の言葉です。

ああ、この人は、こういう覚悟でずっと過ごしてきたのかと、初めて知りました。

台所での立ち話。私以外は誰も知らない言葉。

自分が生活するスペースだけどうにか確保するかのように、他の場所は掃除の手が回らない様子。お仏壇のお茶は何日換え忘れていたのか、茶葉が入っていたので黴が生えていてびっくりしましたが、それは妻の日課とインプットされたままなのでしょう。

それでも自分で食事を作り、仕事もしているし、病院もちゃんと行っていると自慢するこの人を、すごいなあと思っています。できることをできる範囲でする、したいことはちょっと無理してでもする。そういうスタイルのようです。

80を過ぎた人が発する「責任」の言葉は重すぎて、圧倒されます。いろいろあったけれど、この人を一人の人間としてみれば、ちょっとしたお芝居の脚本になるくらいの魅力はあったのかもしれません。家族だからこそ見えないこともあるわけです。

高齢だからといって一括りにするのは間違いかもしれないと思いました。