我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

8月31日に思う

8月最後の日の夕方。

私にはあと何回の8月31日があるのだろうと、思いました。

これまでそんなことは考えたことがなかったけれど、いつまでも続くと思っていた時間は、考えてみればいくつもの偶然が重なったもの。

来年の今日、再来年の今日、あと10年、あと15年、あと何回、何十回続くかわからないけれど、いつまでも穏やかな8月31日でありますように。

そんなことを考えていると、一日一日がとても愛おしく感じます。時間はすごい。決して止まることなく、後戻りすることも振り返ることもないのだから。ただ、前に進むだけですから。

自分が気づかないだけで、いつか途切れる時間の中で、何かを残したい。若い人たちを連れて花蓮に行ったのは、私にできること、伝えることを実現したかったからです。私だけが知っているのでは意味がない。次に伝えていける人たちに気づいてほしいことはたくさんあります。中途半端な私を越えて行ってほしいから、しばらくはこの試みを続けてみようと思っています。