我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

2016年6月3日のこと

随分前のような、つい先日のことのような。旅先での記憶のすべてではなくて、わからないから蓋をしておいた1時間ほどのこと。西表の公民館でおじさんたちが歌った歌のこと。皆が歌詞を覚えているわけではないらしく、紙を見ながらおぼつかない様子で口ずさんでいた人も何人かいたこと。2016年6月3日。今なら、もう少しいろいろ引っかかりを見つけられたと思うのです。あの歌には、その後の踊りには、それぞれどんな意味があったのか、そこに出された食事にはどんな季節感があったのか。何も知らずに行ってしまって、本当に惜しいこと。 

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写真を見返すと、今ではコースターの素材の方が気になります。


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このところ、『八重山を学ぶ』という教科書みたいな本を読んでいました。随分前に読み始めたのですが、さらっと読み進めることができなかったのです。特に歴史のところ。いろいろ引っかかるので、毎晩数ページ程度。休日に十数ページ読んでは、疲れてしまいました。

端っこに住む人たちの物語ですが、私が学校で昔習った歴史と、同じ時代なのに違う人物、違う制度で語られる。場所が違うとこうも見え方は変わるのか、という衝撃。彼らの歴史が日本語で書かれ、語られることは、「当たり前」なのか、島の人はどんな八重山の発展を思い描いていたのか、「八重山」の一体感とそれぞれの島の関係がどうだったのか、という疑問。

活字文化の興隆と、教育熱、学習熱の高さが伝わってくる郷土出身者の活躍、写真から垣間見える近現代を生きる女性のおしゃれへの関心、伝統行事の継続が語る複雑な人間関係。知る由もなかった八重山の昔。

本土と違う風土、伝統、上下関係、昔から伝わる暗黙のルール、本土の官吏との軋轢。人の世だから、小さな島に住む皆が善人とは限らなかっただろうし、狭い世界で息が詰まることもあったと思います。島で暮らすというのはしんどいことなのだなあと知らしめてくれた本。憧れだけで「素敵な島」という思い込みを崩してくれた一冊。

端っこというのは、どこでもグレーゾーンになりがちなのか。グレーに見えるのはこちら側から見るからでしょう。グレーゾーンの中に立ってみれば、目の前には青い海が広がっているのでしょう。全然グレーじゃない、海のルール、山のルール、集落のルールがあったのだと思います。忖度グレーもあったかもしれないけれど。

アメリカの軍人の名前が付いた道路が今もあるということが、とても印象的でした。次に行ったら、その道を歩いてみたいです。

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琉球と台湾と

知らない誰かのインスタで見かけて、あれっと思ったのです。

琉球犬という犬がいるらしいです。私は見たことがないから知らないけれど、琉球犬の舌には黒い斑点があるのだそうです。

それって、台湾土狗と呼ばれる台湾犬にもあります。

シーズーだのフレンチブルだの飼い犬の定番を見慣れていると、細身で真っ黒な台湾犬はちょっと怖い感じがしますが、琉球犬を写真で見る限り台湾犬より野性的な印象を受けます。

舌に黒い斑点をもつ犬は他にもいるかもしれないけれど、沖縄には沖縄の固有種が、台湾には台湾の固有種がいて、共通点もあると思うと、何だか楽しい。猫は、琉球猫とか台湾猫って言わないと思いましたら、…いえ、琉球猫はおりました。 

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台所で立ち話

自分が貰ったのだから最後まで責任をとる。

80を超えた男の言葉です。

ああ、この人は、こういう覚悟でずっと過ごしてきたのかと、初めて知りました。

台所での立ち話。私以外は誰も知らない言葉。

自分が生活するスペースだけどうにか確保するかのように、他の場所は掃除の手が回らない様子。お仏壇のお茶は何日換え忘れていたのか、茶葉が入っていたので黴が生えていてびっくりしましたが、それは妻の日課とインプットされたままなのでしょう。

それでも自分で食事を作り、仕事もしているし、病院もちゃんと行っていると自慢するこの人を、すごいなあと思っています。できることをできる範囲でする、したいことはちょっと無理してでもする。そういうスタイルのようです。

80を過ぎた人が発する「責任」の言葉は重すぎて、圧倒されます。いろいろあったけれど、この人を一人の人間としてみれば、ちょっとしたお芝居の脚本になるくらいの魅力はあったのかもしれません。家族だからこそ見えないこともあるわけです。

高齢だからといって一括りにするのは間違いかもしれないと思いました。

鉄棒

高齢の親がついつい自転車に乗って転んでけがをしたのは、親世代の価値観が高度成長期のままストップしてしまったからではないかと思ったりします。

早く、早く、早く。あれとこれを買って急いで帰らなきゃ。急いで帰ってお昼の支度をしなくちゃ。

いいえ、あなたを待っている人は、一食抜いたくらいで倒れるほど栄養状態が悪いわけではありません。何なら一日食べなくても大丈夫なはずです。文句は言うでしょうけれど。

何だかちょっと、昨年のプユマ号脱線事故を思い出してしまいました。

そんなに急いでどうするの。バブルを知っている娘が、ほんの少し警鐘を鳴らせるのは、大小さまざまな「島」でその地域の生活を少しだけ見せて貰ったからかもしれません。若い人が出て行ってしまった後の静かな島、急ぎたくても急げない年齢にさしかかった人たち、急いで行っても何もないからと急ぐことを止めてしまった人たち、急ぐことに疲れて田舎に帰ってきた人たち。急ぐことを止めた人たちは、我が道を歩き始めるのでしょうか。お元気で、他人にも動物にも優しいなあと思います。

でも、それだけではないですね。私の後の世代は、いろいろ違う価値観を出してきました。自分より若い人たちの行動に感心することも、よくあります。人間関係のさばき方も、学生時代にアルバイトで苦労した若い世代の方が上手かったりします。

高度成長期からバブルの人たちは、自分がしがみついている鉄棒から落っこちることが一番怖かったりします。中には、思い切って砂場に飛び降りてみようとか、隣の低い鉄棒に移ろうとか、いろいろ違うパターンを見せる人もいます。鉄棒にぶら下がる両腕が疲れてくると、落ちたくない気分と、砂場に降りてみたい気分が、私の心の中で駆けっこを始めます。手を離す勇気、なかなかないのですけれど。

ことだま

不要多想と言われたことがあります。

3、4年前でしょうか。

いま思えば、考える必要がないくらい小さなことでした。

今は自分に言い聞かせています。不要多想, 不要多想喔。

言霊というのは、中国語でもあるのでしょうか。

20年近く前、北京の某大学の授業で、ある学部生の子が、これからプレゼンしなくちゃいけないのに私はとても緊張している、今から緊張を解くおまじないをするから、みんなも一緒もつき合ってほしい、と言って「我真棒,我真棒,真的,真的,真的,真的,真的,真棒!」と、三三七拍子の音頭でいきなり歌い始めたのでした。しかも振りつき。

クラスの子も先生も、皆あっけにとられながら振りつきで合唱するという、のどかな光景に出くわしたことがあります。そのおまじないが強烈だったので、その子の発表がどんな出来だったのか全然覚えていませんけれど、クラスの雰囲気が和んだのは確かです。

言霊、コトダマ、これまで気にしなかったけれど、信じてみようかな。

我真棒,我真棒,真的,真的,真的,真的,真的,真棒!

不要多想より元気になれそうなフレーズです。

天使の心

忙しすぎると愚痴を言っておりましたが、忙しさに感謝することもあります。

仕事があって、職場があって、職場に通ってくる猫がいて、一番しんどい家族の問題からの逃げ場を見つけることがあります。

子どもがみんな天使であるわけではないし、親だからといってみんな観音様ではありません。どうしても一緒に過ごせない組み合わせだってあるでしょう。親になるための教育を受けてから親になるわけではないし、親になるための試験に合格した人だけが親になるわけでもありません。

落ち着かなかった心が落ち着いた場所は、休日の職場でした。私、自分が思っている以上に今の仕事が好きなのかもしれません。

気がついたら夜7時。暗い夜道を歩きながら、これまでの自分の選択は正しかったと思いました。奉仕し過ぎなくてもよいのです。私もいろいろ抱えているのだから、まずは私が潰れないように。

今夜は少し軽い足取りで帰宅しました。

頑張りすぎ

やっと世間は連休。しばらくは、職場の人たちの顔を見なくて済むのが嬉しい。

今朝は、職場で人が倒れ、医務の方を呼んで措置してもらいました。こんな時、自分の対応が適切なのか、いつも心もとなく感じます。とにかく、意識が戻ってくれてよかった。倒れた人も、無理して来ていたんだね。

それで気分的に疲れている所に、去年の仕事を終えてなかったからやってほしいという依頼。それはあなたの仕事だよ、と思いましたが、それを説得する間に、たぶん、終わるのです。私がやれば。本来説得してやって頂くべきですが、時間とエネルギーの節約から考えると自分が手を挙げた方が早い。疲れますけれど、その人にやってもらったところで、たぶん一からやり直しになるので。

こんな考え方は間違っているかもしれないけれど、人は一緒に仕事をした人をフィルターにして、その人の国を判断してしまうような気がします。私はどうも某国が苦手です。本当に苦手。まったく、もう。と、野良猫に愚痴を聞いてもらう夕べでした。

私、すごく頑張っていると思います。これは、良くないです。だから、お風呂場で滑ったりするのです。怪我がなかったのは幸い。自分が疲弊しないためのコツ、まだ見つけていません。それでちょっとしょんぼりしていたら、素敵なものが届きました。

花見小路の新しい靴です。カーキ色の履き心地の良い靴。明日はこれを履いて出かけます。何か良いことあるといいなあ。花見小路さん、今度は羽根の生えた靴を売ってくれないかしら。