我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

新竹で決断

最近はどこの職場も資金は自己調達を命じられることが多いと思います。

とはいえ、いつもタイミングよく調達できるわけではないので、しょっちゅうお金の心配をしながら仕事をしております。

運よくこの春は2つのプロジェクトに資金がつきました。

申請時の条件として、それぞれ内容の異なるプロジェクトでなければならなかったため、2つ通ったということは、両方を実施するか、どちらかを辞退することになります。資金を頂きながら中途半端は後味が悪いですし、それが最初から予測できるなら一つに絞った方がよかろうと、職場がつけてくれた別予算を返上しました。すんなり判断できたわけではなくて、今は台湾にいらっしゃる方と新竹に出かけ、話を聞いてもらいました。新竹都城隍廟を参拝した後、その近くにある、自然の風が心地よく吹き抜けるお店で、少し甘いアイスティーを飲みながら相談しました。プロジェクト以外に抱えている厄介事の先行きも考慮して、ポンと背中を押して頂きました。迷い事も環境を変えたり、人に話してみると、意外にすんなり収まるものです。

これが宝くじならありがたく両方頂戴するのですが、体は一つしかないし、1日は24時間しかないし、人のお金で仕事をさせて頂いているので、止むを得ません。自分が選んだプロジェクト、きちんとやり遂げようと思います。

「ミエラ橋」

石垣島の小さな気になる事の続きです。

言葉です。発音です。

宮良橋というバス停、ミヤラじゃなくて、ミエラと聞こえました。

平得はヒライと聞こえました。他にもあったように思いますが、思い出せません。

また変なタイミングで思い出すかもしれません。

八重山のこともヤイマと言うのでしょうか。

島の言葉はちょっと曲者です。島にスパイが入ってきたら、すぐにわかりますね。

バスに乗る度にそんなことを考えていたら、サトウキビ畑も海岸線も、あっという間に車窓の向こうを後ろに流れて行きました。

活字天国

つい先週、石垣島に行って来ました。たくさん面白いことに出会ったのですが、

小さな事がとても鮮明に記憶に残っていたりします。

新聞です。

ホテルのフロントの「ご自由にお持ちください」の新聞。コンビニの新聞売り場の新聞。「内地」で見慣れたメジャーな新聞が見当たらなくて、八重山毎日新聞八重山日報琉球新報、あと、沖縄タイムスだったと思います。

すごーい!オール沖縄ですね。でも、博物館の人は「沖縄に行く」と仰っていたので、八重山と沖縄を一緒にしたら怒られるでしょうか。

4紙のうち、少なくとも2つは石垣島が本社ではないかと思います。

とても文化的な島だと思いました。

ハグ

お天気のよい週末の朝、思い立って用事ついでにお墓参りに行きました。

同じ墓苑に我が家を含めて母系繋がりのお墓が3基ありますから、お供えも掃除も平等に3軒分です。山を切り開いた墓地なので坂道も急です。以前あった小さな焼却炉は撤去されたのでゴミは全部持ち帰らないといけませんし、水汲場も離れています。

いつの頃からか、お掃除のために一人で参るようになりました。高齢の親を連れて行くと一日がかりになって私の疲れも倍増するからです。とはいえ、私が行くのは年末かお彼岸前の年一回程度。普段は親や親類任せでご無沙汰しています。

我が家の墓を含めて2基は水汲み場に近いので、こちらを先に掃除、お花を替えて・・・昨日はうっかりお線香を買いそびれてしまい、蝋燭だけ。ごめんね~と言いつつ、とりあえずこざっぱりさせました。以前は近くのコンビニにお墓参りに必要なものはすべて売っていたので、思いつきでお墓参りをしても困らなかったのです。2、3年前にコンビニはなくなってしまいましたが、私はそのことをすっかり忘れていました。

でも、私がおっちょこちょいだとお墓の下の人たちはわかってくれていますので、きっと許してくれるでしょう。

さて、祖父母の墓だけが遠く離れているため、バケツに水を汲み直して、坂道を延々と上ったり下りたりを繰り返し、急な石の階段を下りて、やっと到着です。一通りきれいに設えて、さあ帰ろうと思いましたら、何となく、祖父の口癖が思い出されて、足を止めました。

「もう帰るんか」

小さな頃から、毎回、聞かされた言葉。喧嘩をした時も、私の帰り際にいつも言ってくれた言葉。最後は部屋の奥に引っ込んで見送りはせず、「また来いよ」と奥から声が聞こえていました。

昨日知ったことですが、祖父母のお骨を京都の大きなお寺に移すと、彼らの長女が決めたそうです。来年、このお墓の掃除ができるかどうかわからない。「もう帰るんか」という声が懐かしくて、思わず墓石に抱きつきました。しばらくそうしていたと思います。山の上で墓石に抱きつく女、他人が見たら変だと思うでしょうが、日当たりの良い墓地の墓石のてっぺんはお日様のおかげでとても温かく、気持ちよかったのです。

おじいちゃんの温もりです。

苦手な仕事

苦手な仕事は時間がかかります。

いつの間にか自分の視野が狭くなっていたりして、行き詰まってしまいます。情報は増えたのだけれど、どう纏めるのか、何を捨てるのか、判断するのは難しいです。

「今、こんな仕事しているのだけど、なかなか進まないのよね」と、ぼやいてみましたら、「あ~それはこういうことがポイントよね」とちょっとしたヒント、基本中の基本を一言だけ言われました。最初は頭に入っていたはずの事が、情報の山に埋もれていつの間にか薄らいでいました。

おかげで、やるべきことが手元の情報と結びつくようになりました。捨ててもよいことを捨てて、拾うべきところをちゃんと拾えているか、ドキドキしながら纏めるのは私ですが、纏められる方もドキドキしているかもしれません。私にできる範囲で、誠意を込めて仕上げたいと思います。

忘れる

直近の誕生日、母は忘れていたようです。

その前の誕生日までは電話かカードが届いていましたが、この間の誕生日は音沙汰なしで、何かあったかと心配になってこちらから電話を入れました。私の誕生日は、親が元気でいるか確認する日になりつつあります。

娘がなぜ電話を入れたかも気づかなかったようで、まあ元気なら良かった、です。わりと、うちの親は昔からこんな感じではありますが。

ふと、こうして少しずつ別れて行くのかなと思ったり。いつもあったものがある日急に失われることの怖さと、日々少しずつ薄れていっていつか消えていくこと。どちらかわかりませんか、誰にでもいつかやって来ることですね。

親だけではありません。

私も日々やらねばならないことに追われて忘れていくことが多すぎます。私も彼らの通った道を追いかけているような気がします。

選ぶ

大学生の就活が始まったそうです。大学生対象ではありませんが、私も人を選ぶ局面に立っております。選ばれる方の気持ちもわからないではありませんが、提出書類に小さなミスが複数あると、好感度は下がります。心の中で、この方ではないなと思ったら、書類上の漢字の間違いとか指摘します。気づかずに同じ書類を他の所へ送ったら、その方の印象はいつまでたってもよくならないと思うからです。指摘した時の反応を見て、やはりこの方ではないな、と確信することもあります。

私が今の職場で面接を受けた時、面接を担当してくださった5人のうち4人はニコニコしておられました。おひとりだけ、私が面接課題で作成した書類について「こういうありきたりのは要らないんです。こんなことをお願いしたいのです。作り直してください」と言われました。それでも私を選んでくださり、しかも着任する前に職場で期待されていることを準備できましたので、本当にありがたい注意でした。10年ほど経ってその方が退職される時、ご挨拶に行きましたら、「え、そんなこと、僕言ったっけ?」と完全に忘れておられましたけれど。良い人に巡り合えて幸せでした。

選ぶ側の条件を、選ばれる側がいつも把握しているわけではありません。30年近く前、当時の職場で外国人のディレクターが私を秘書に内々で指名したことがあります。本人のみならず、周りもビックリ仰天でした。その外国人は日本語がほとんどできず、私は英語で仕事をこなすほどの力はなく、5分程度顔を合わせただけの間柄でした。たぶん、Very glad to see youとか、そんな一言しか言ってないはずです。とても不思議に思った当時の日本人上司が、あの子よりも英語ができる社員はたくさんいると進言しましたら、思わぬ返事が返って来たそうです。私が選ばれた理由は、余計な事を喋らないから、でした。英語は慣れるし、仕事は自分が教えるから心配しなくてよいとも仰ってくれました。ただ一つ条件がありました。人事刷新という敏感な問題を担当するために本社から派遣されたディレクターには、英語の上手い日本人秘書がついていましたが、社交的な彼女は、いつ誰が上司を訪ねて来たのか、聞かれたら何でも答えていたそうです。それに困ったので、私が選ばれたというわけでした。しかし、そのような秘書をいきなり辞めさせては何をするかわからない、ということで、しばらくは他の部署で待機してほしいという条件でした。諸般の事情で私は秘書になる前に退職しましたので、今となっては夢の話ですが、人は何が評価されるかわからないものだと思いました。

今回、私は選ぶ立場にありますが、私の一存で決まるものではありません。私たちが何を求めているのか、何を備えていてほしいのか、選ぶ側も慎重に真摯に向き合っていかなければと思っています。