我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

お墓狂騒曲

短くて楽しかった沖縄旅行から戻ったばかりですが、お墓の話です。

お墓の行く末だけではなく、造成や維持にも関心を向けるようになったのは、『動く墓―沖縄の都市移住者と祖先祭祀』を読んでからです。沖縄では、ご先祖様を大事にするという通説だって変わり得るし、変わりたくないような変わりたいような葛藤もあることを知り、地域は違えどご先祖様とのお付き合いをどうするかは悩ましい問題なのだと再確認しました。

我が家でもお墓の移動の話が持ち上がったこともあり、故人が亡くなった時よりも、何十年か経ってからの方が死者との関係を思う機会が増えました。年取った親は、世間で話題になれば「うちも樹木葬で」などと言っていましたが、「お墓のことはわかるようにメモしておくから」と言うのを忘れませんから、こちらが本音でしょう。家単位で造ったであろうお墓が、やがてその家の構成員一人一人の死生観を形成していくような気がします。

沖縄に限らず、お墓は人間にとって一番のタブーなのでしょうか。ネットで探すと「お墓をとじる=新しい墓地へ移転する」情報はそこそこあるのですが、「今在るものを閉じて完結」したい場合の情報は見つけられませんでした。正確には、知りたいところがぼかされている、というべきでしょうか。

今回の旅行、延伸したゆいレール経塚駅周辺で夥しいお墓を見ました。このお墓群の背景に、いろいろな家族関係があるはずです。場所は違えど、お墓問題は少しずつ私の身辺にも忍び寄っているような気がしました。