我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

苦手な仕事

苦手な仕事は時間がかかります。

いつの間にか自分の視野が狭くなっていたりして、行き詰まってしまいます。情報は増えたのだけれど、どう纏めるのか、何を捨てるのか、判断するのは難しいです。

「今、こんな仕事しているのだけど、なかなか進まないのよね」と、ぼやいてみましたら、「あ~それはこういうことがポイントよね」とちょっとしたヒント、基本中の基本を一言だけ言われました。最初は頭に入っていたはずの事が、情報の山に埋もれていつの間にか薄らいでいました。

おかげで、やるべきことが手元の情報と結びつくようになりました。捨ててもよいことを捨てて、拾うべきところをちゃんと拾えているか、ドキドキしながら纏めるのは私ですが、纏められる方もドキドキしているかもしれません。私にできる範囲で、誠意を込めて仕上げたいと思います。

忘れる

直近の誕生日、母は忘れていたようです。

その前の誕生日までは電話かカードが届いていましたが、この間の誕生日は音沙汰なしで、何かあったかと心配になってこちらから電話を入れました。私の誕生日は、親が元気でいるか確認する日になりつつあります。

娘がなぜ電話を入れたかも気づかなかったようで、まあ元気なら良かった、です。わりと、うちの親は昔からこんな感じではありますが。

ふと、こうして少しずつ別れて行くのかなと思ったり。いつもあったものがある日急に失われることの怖さと、日々少しずつ薄れていっていつか消えていくこと。どちらかわかりませんか、誰にでもいつかやって来ることですね。

親だけではありません。

私も日々やらねばならないことに追われて忘れていくことが多すぎます。私も彼らの通った道を追いかけているような気がします。

選ぶ

大学生の就活が始まったそうです。大学生対象ではありませんが、私も人を選ぶ局面に立っております。選ばれる方の気持ちもわからないではありませんが、提出書類に小さなミスが複数あると、好感度は下がります。心の中で、この方ではないなと思ったら、書類上の漢字の間違いとか指摘します。気づかずに同じ書類を他の所へ送ったら、その方の印象はいつまでたってもよくならないと思うからです。指摘した時の反応を見て、やはりこの方ではないな、と確信することもあります。

私が今の職場で面接を受けた時、面接を担当してくださった5人のうち4人はニコニコしておられました。おひとりだけ、私が面接課題で作成した書類について「こういうありきたりのは要らないんです。こんなことをお願いしたいのです。作り直してください」と言われました。それでも私を選んでくださり、しかも着任する前に職場で期待されていることを準備できましたので、本当にありがたい注意でした。10年ほど経ってその方が退職される時、ご挨拶に行きましたら、「え、そんなこと、僕言ったっけ?」と完全に忘れておられましたけれど。良い人に巡り合えて幸せでした。

選ぶ側の条件を、選ばれる側がいつも把握しているわけではありません。30年近く前、当時の職場で外国人のディレクターが私を秘書に内々で指名したことがあります。本人のみならず、周りもビックリ仰天でした。その外国人は日本語がほとんどできず、私は英語で仕事をこなすほどの力はなく、5分程度顔を合わせただけの間柄でした。たぶん、Very glad to see youとか、そんな一言しか言ってないはずです。とても不思議に思った当時の日本人上司が、あの子よりも英語ができる社員はたくさんいると進言しましたら、思わぬ返事が返って来たそうです。私が選ばれた理由は、余計な事を喋らないから、でした。英語は慣れるし、仕事は自分が教えるから心配しなくてよいとも仰ってくれました。ただ一つ条件がありました。人事刷新という敏感な問題を担当するために本社から派遣されたディレクターには、英語の上手い日本人秘書がついていましたが、社交的な彼女は、いつ誰が上司を訪ねて来たのか、聞かれたら何でも答えていたそうです。それに困ったので、私が選ばれたというわけでした。しかし、そのような秘書をいきなり辞めさせては何をするかわからない、ということで、しばらくは他の部署で待機してほしいという条件でした。諸般の事情で私は秘書になる前に退職しましたので、今となっては夢の話ですが、人は何が評価されるかわからないものだと思いました。

今回、私は選ぶ立場にありますが、私の一存で決まるものではありません。私たちが何を求めているのか、何を備えていてほしいのか、選ぶ側も慎重に真摯に向き合っていかなければと思っています。

眼鏡

眼鏡を新調しました。フレームは紫縁で、私が生まれた年に創業した鯖江の会社の製品です。レンズは、ちょっと大きめにしました。

近視が強いので、レンズの中でガクッと顔の輪郭が内側にずれるし、目が小さく映ります。そういう意味では美しくはないのですが、視野が広がったので、他人の目さえ気にしなければ快適です。

これまでかけていた眼鏡は赤縁のスウェーデン製で、かけた時にレンズの厚みが目立たないように極力小さめのフレームにしていました。でも、使い勝手がいまひとつだった上、先日、強風で跳ね返った洗濯物にあたって真っ二つに割れるというアクシデントに遭いました。怪我がなくて幸いでした。

眼鏡を作り直すのはお金も手間もかかって面倒です。私はそこそこの年齢になりましたので、検診も兼ねて眼科で視力を測ってもらいます。手間に加えて、相場がありません。さすがに上限はある程度設定しますが、ピンキリ揃えた眼鏡屋さんはデパートみたいなもの。納得がいく一本を選ぶために20本以上のフレームを試し掛けさせてもらいました。

私の場合、レンズは一番薄型で軽いものと迷いがありませんので、フレーム選びだけがポイントになります。10年に一度くらいしか作りませんので、その間にフレームとレンズは着実に進歩しており、買い替えはお得感があります。

もちろん安いにこしたことはありませんが、私という人間の印象を決めますし、使い勝手も良くないと意味がありませんので、妥協しない買い物のひとつです。

見た目の美しさを追求した前回までに比べ、最近は今までの自分と違う印象を与える眼鏡に惹かれます。でも、人前に出る機会もありますので少しは綺麗さも気にします。こと女性のお客さんに対しては、眼鏡屋さんのアドバイスは柔らかさと優しさが軸になるようです。優しく見えることが仕事上、邪魔になることもあるのですけれどね。

なりたい自分と世間が期待する自分の間には、レンズの内と外で顔の輪郭線がガクッとずれるくらいの差があるようです。

猫とじいちゃんとばあちゃんの島

私が住む市内にも保護猫カフェができたそうです。その一方で、職場に住みついている猫は目を病んだらしく、可哀そうではありますが、今のところなすすべがありません。

やるせない気持ちとは、こういうことを言うのでしょうか。心を落ち着かせようと、オフィスに寄って30分ほど座り込んでいました。

さて、今日はお休みを頂いて『ねことじいちゃん』を観に行きました。動物ものはあまり観ないのですけれど、タマのポスターが可愛かったので、公開初日の最初の上映時間に行きました。これは多分、正解。

初日とはいえ、平日の朝ですから、普通は映画館にあまり人はいないのです。でも今日はわりとお客さんが入っていました。しかもほぼ全員が、いつでも大吉さんやトメさんの代役が出来そうな年齢の方たちです。半分くらいは男性でした。これは、夕方17時40分からの最終上映では見られない光景だと思うのですよね。ご夫婦連れも何組かいましたが、男性一人で見に来ていらっしゃる方も少なくありませんでした。私は映画も好きですが、映画を観に来る人たちを観察するのも好きです。

「ねことじいちゃん」は、佐久島の美しい風景とのびのびとした猫たちが主旋律となって、老いと過疎と少しの青春が描かれます。あんたがいなくなったら私は誰と喧嘩すればいいのよ、という言葉には泣かされました。物語はとてもシンプルで、登場人物はみんないい人という理想郷ですが、それでも一人、また一人と鬼籍に入っていく、あるいは島を出て行くことで、登場人物に制限時間が言い渡されていくように思えます。

東京で暮らす息子の部屋は、マンションの書斎スペースでしょうか。狭い空間は机と椅子の周りをいろいろなモノと本棚が取り囲んでいます。隙間がないほどごちゃごちゃした机の上を息子の猫が歩き回る。嫁と娘の顔は映画に出てこない。一緒に住もうよと何度もお父さんに呼びかけながら、どことなく自信なさげな、頼りない雰囲気があります。

狭い息子の部屋とは対照的に、一人と一匹が悠々と暮らす大吉の家。巌の家。サチの家。猫と島の人々との良い所だけ拾い集めた作品。写真家が撮った映画を、私は初めて観たかもしれません。この人は猫を撮らせたら上手いというけれど、佐久島の美しさがじんわりと伝わってくる映画でした。

夜活

エアロビのクラス、私はいつも言われた通りの動きをしていないから叱られるのだけど、昨夜は基本の動きはできていたか、そうしようと努力している様子は見えたみたいで、右と左を混乱して時々モタモタしても先生のご機嫌はとても良かったです。

この先生、叱る時はあっても褒めることはあまりないと思っていたら、褒めたくなるぐらい嬉しい時は彼女のダンスの動きと声が大きくなります。そして、嬉しすぎて次の動作をよく間違えます。

あ~間違えた、ごめん、ごめん、と全然反省してない先生は、生徒の人気者です。

月曜の夜はエアロビの後にズンバが続きます。昨夜のズンバでは先生の掛け声がひときわ大きく、それに続く生徒の掛け声も大きく、たぶん、隣の部屋で自転車漕いでるおじさんたちからまたクレームが来ますね。でも音楽や声が小さいと面白くないのです。私たち、家でできないことをしたくて来ているのだから。顔をしかめてスタジオを覗き込むおじさんも、一緒に踊ってみればよいのです。

結局昨夜は終了時間をオーバーして先生が叱られたようですが、私は初めて少し上手くなったかも感を実感できた一日でした。

先生、加油よ。下周見。

月曜日は市場へ出かけ・・・

朝一番で税金の申告をしに行った。会場で30分並んで番号札をとったら、すぐに個別ブースへ連れていかれてスマホで申告。電子データだけが政府に飛んで行った。私は番号で管理されている。椅子にも座れず長い時間立ちっ放しのおじいちゃんやおばあちゃんが大勢待つ会場を後にして、街へ出た。

本屋に立ち寄ったら、お客さんはほとんどが退職したサラリーマンといった風情の人たちだった。目の前にあった樹木希林の本をちょっと立ち読みした。この人、無駄がないなあ。エッセーはどれも短い。短すぎるくらい短い。喋りすぎない女性は素敵だ。本の写真の希林さんはどれも美人だった。今日は希林さんを買う気にならなかった。

本屋の先に眼鏡屋さんがある。気になっていた黒縁の眼鏡を買おうか迷いながらお店を覗き込むと、いつもの店員さんが見当たらなくて、入るのをやめた。

初めてのお店でジプシーっぽいスカートを試着してみて、買うのをやめた。

商店街をぶらついて、雀荘の下のラーメン屋さんに入った。お昼の後、奥行きのある雑貨屋さんに入り、手触りの良い日本製のタオルと、数十匹の猫が描かれたエコバックを買って、市場に行った。

市場の中は狭い通路。お店の人と地元のお客さんと観光客が、無秩序に歩きたい方向に歩き、勝手に立ち止まり、誰かの進路を妨げる。どこかのおじさんが台車を押して来たと思ったら、ぶつかる前にヒョイと横の路地に消えていく。ついこの間、地元のテレビ局が紹介した角打ちのお店には、月曜日の昼だってお客さんが何人もいた。お店の前を通る人たちが、看板に向かってシャッターを切る。しゃがんで暖簾の下から中を覗き込む観光客もいた。向かいの八百屋さんでは、大きな葉付き大根が一本100円、白い苺もあった。この市場、鮮魚屋さんが増えた気がする。観光客に交じって行列に並び、サバを買った。胡椒をたくさん乗せたチーズケーキとふわふわのクロワッサンも買った。

家に着いて、台湾で買った珈琲豆を挽いて熱々の珈琲を淹れ、大音量でクイーンを聴いていたら、電話がけたたましくなった。

ご近所から騒音の苦情かと思ったら、職場からの電話だった。メール連絡でも全然問題ない話。でも、電話したくなる時があるのよね。

友だちからのメッセージを開いた。年に一度の近況報告をする人。半年に一度の近況報告をする人。来週ペルーに行くらしい。来月トロントに行かないかと誘われた。行かないよ。一路平安。

平和な一日です。夜はエアロビに行きます。

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