我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

旅の総括

島の名前が頭の隅に残っていたのは、基隆の沖縄漁民の像やそれについて書かれた文章とは関係ありませんでした。そういうのは、島に行ってからのお喋りの中で思い出したことです。

時間とお金の制約がある中でここを選んだのは、「岩合光昭の世界ネコ歩き」を観て素敵だなと思っていたからです。

猫もたくさんいましたけれど、適度な不便さが良かった。猫が夜中に屋根の上で追いかけっこなんて、初体験でした。翌朝、その犯猫を捜すのも面白かった。ひとつだけ不満をいえば、夜中に宿の庭の明かりを消しておいてくれたら、もっとよかった。でもこれは宿の方のご厚意だし、隣の部屋に別の方が泊っておられたので、勝手に消すわけにはいきません。それでも通りに出ると夜空にたくさん星が光っていました。

御嶽など島のルールがあることで、そのルールを地元の方に確認しておくことで、余所者の私も安心して歩き回ることができました。神様に失礼があるといけないから、というよりも、信仰と伝統の維持に腐心して来られた島の住人に対しての敬意です。この人たちがいてこそ、神話も伝説も、噂話だって存在することができると思うからです。

一方で、私の目は離島の高齢化の現実を眺めていました。

昨日、録画していた新日本風土記石垣島米原という地域を紹介していました。今では8割が最近の移住者になったとのこと、戦後すぐに移住してジャングルを切り開き、マラリアと闘って来た先人の苦労が伝わらないことを懸念して、語り部の活動をしているそうです。

たまに行けば天国に見える南の島に近づけば近づくほど、厳しい現実が見えてくる。自分は残りの人生をどう生きるのか、重ねて見てしまうこともあります。