我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

島雑記

行ってもよいと言われた気がして行った小さな島。直前にネットでいろいろ調べていると、神の島と呼ばれていることがわかり、いろいろ不思議体験が紹介されていて、うーんどうしようと思ってしまいました。スピリチュアルに過ごす気分じゃなかったからです。でも、こんな理由で宿をキャンセルするのは大変申し訳ないし、やっぱり行こう。でもそんな理由で迷っていたので、ガイドは現地で気が向いたら手配しようという、のんきな出発になりました。

わりと揺れたフライトで那覇空港に入り、ゆいレール、バス、フェリーを乗り継いで一日がかりで島に到着しました。飛行機の揺れ、バスの窓に照り付けた強い日差し、船の揺れで、夕方から頭痛がひどくなりました。前にも経験があるのですが、私はガラス窓越しの強い日差しと揺れの組み合わせ(たぶんバス)に弱いのです。こんな日は早く寝るに限ります。

乗り継ぎ時間に余裕がなくて何も食べるものを買って来なかったため、この時間に唯一営業していた商店に行きました。行く途中、90歳というおじいちゃんがモズク漁の網を修繕していました。「うちで一緒にご飯を食べよう」「おじいちゃんはさびしいんだよ」と誘ってくれましたが、「すみません!」と頭を下げて先を急ぎました。島の常識がどんなものかわからないけれど、見ず知らずの一人暮らしのおじいちゃんの家に上がり込む勇気はありませんでした。

商店で翌朝食べるパンを買って代金を払おうとした時、私の横で順番を待っていたおじさんが「どこ泊まってる?」。中国語では「ご飯食べた?」が挨拶言葉とよく言われますが(実際はそんなことはない)、ここでは余所者に対する第一声は「どこ泊まってる?」のようです。

港の隣の食堂で夕食をとりながら、せっかくだからガイドをお願いしようと思い立ち、その場で連絡して翌日9時から2時間ほど案内して頂くことにしました。ガイドさんは複数いらっしゃるようですが、一番簡潔なプロフィールの方にしました。まさかその方が、台湾の知り合いと今年3月に会っていたとは知りませんでしたし、基隆の和平島にある沖縄漁民の碑のモデルになった方の親戚とは存じませんでした。人の縁は不思議なものです。

 

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翌日朝、6時に起きて身支度を整え、日の出を見に近くの浜へ走りました。新しいカメラに慣れようと動画を撮っていたら、後ろから「おはようございます」とおばあちゃんに声をかけられました。肌のきれいな人で、いろいろ自然の大切さを説いてくれました。その人が誰かも知らず、今日はガイドさんと島を回ると言いましたら、ガイドは誰かと聞かれ、こんな小さな島で隠し事をしても仕方あるまいとガイドさんの名前を告げると、やはり知り合いだった模様。島の生活ってこうなんだ。

私が泊まった宿の主はちょうど旅行中。どこに何をしに行っているか、誰と会っているかまで、島の人皆が知っていて、フェリーで働くオジサンも知っている。島ってこうなんだ。

早朝の浜で出会ったおばあちゃんは「鳥さんお帰り、鶯さんおはよう、ありがとうね」とあちこちに声をかけていました。この地域ではちょっと有名な方だと、後から知りました。この方についてはいろいろな話があるようですが、私が知るところではありません。ただ、鳥に声をかけたくなるほど、人が少ない島です。私はと言えば、港に降り立った時から猫に挨拶してますし、道端に座り込んで猫とお喋りもしましたし、あまり人のことをとやかく言えません。

午後、自転車で島を回った時、道路のど真ん中に黒い子猫が寝そべっていました。車が来てもどかないので、自転車から降りて抱いて避難させようと思ったら、私の両手をすり抜けるようにピョンピョン飛んで行きました。その様子を見た近所のおばあちゃんが「あら、昨日はいなかったのに、また出て来た」。子猫が散々車の通行の邪魔をした挙句、草むらに飛び込んだのを確認して、このおばあちゃんと微笑み合いました。

ゆっくり集落の中を走っていると民家の中から男性の怒声が聞こえてきました。「また同じことをして。少しは頭を使いなさいよ!」と、奥さんらしき人を怒鳴っている声。男性は庭から部屋に入るところ、怒鳴られている方は室内に居るようです。「なさい」という丁寧な命令形に「よ」が付くから少し柔らかい響き。内地なら「使え!」「使わんか!」となるのではないかしら。怖いよね。

イラブーを燻した小屋は午後には閉じられていて、向かいの広場では女性と小さな男の子がバドミントンの練習をしていました。それほど若くはない女性は髪を一つにまとめて、その上から三角に折ったスカーフで覆っていました。スラックスに割烹着をつけたままで、おっとりと子供にバドミントンは横からではなく下から羽根を打つのだと教えていました。この辺りの子供は、イラブ―を燻す煙が小屋からもくもくと上がるのを見ながら育つのだと思います。

島に滞在中一日2回は通った船待合所の売店のおばちゃんは、長男に嫁いで28年、韓国と台湾が大好きだからよく旅行に行くのだそうです。韓国では買い物はあまりしないけれど、韓国のりをご飯に巻いて食べるのがお気に入りだと言っていました。

みんな知り合いのような島では、静岡から移住してきた画家の話なんて、鳩も猫も知っているのではないかと思うくらい。ガイドさんは「ちょっと寄って行こう」と、本来の案内コースにはない仕事中のアトリエに案内してくれました。そこは前日の夕方散歩していた時に、猫が二匹飛び出してきた家でした。

島を案内してくれたガイドによると、「葬式の時は集落の北の端まで村人が送りに来る。自然崇拝だから坊さんもいらない。集落を出たら親族が死者を墓所へ運んでいく。この島では今でも12年に一度、洗骨をやっている」。

美しい風景と降臨神話で観光客を魅了するこの島は、高齢化が深刻で、学校の先生も診療所の先生も島の外から来ています。子供たちは高校から本島の学校へ行くけれど、その寮や下宿やアパートの費用は離島補助でまかなっているそうです。小学校の校長先生は隣にある幼稚園に移動すれば園長先生になる。運動会のリレーは、小学生が最初の4分の1を走り、残りは中学生が走る。

島の人同士が話す会話は沖縄本島の言葉とも違うようで、一言も聞き取れません。

ここの御嶽は鳥居もない。何人も立入禁止の有名な御嶽は陽、その近くに陰の御嶽と言われる場所があります。ここは女性だけは入ってもよいと言われたので、入口まで行ってみましたが、奥に広がるのは薄暗い森でした。ふだん仏像やご神体など「何か」に向かって手を合わせてきた私には、御嶽では何が拝みの対象なのかわからない。たぶん森そのものが祈りの対象であり、祈りの空間なのだろうと思います。

 

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滞在中、スピリチュアルな感覚も不思議な体験もありませんでした。ガイドさんは、普通が一番、と言ってくれました。

幾種類もの青を見せてくれた海、朝陽が昇る前のピンクに染まった空を眺め、畑に点々と続く地割の名残の石を眺め、絶景を見下ろす崖では足元のサンゴの痕跡を撫でたり御嶽の森の裾に広がる浜辺を眺めやりました。夜空の星もきれいでした。こういうものたちの中に身を置きたかったのです。

私の願いは叶いました。だから、やっぱり神様は居られるのかもしれないし、そっと私の願いをかなえてくださったのかもしれません。