我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

花蓮からのたより

昨夜遅く、花蓮の片田舎にある施設の方から連絡が入りました。

ずっとSNSを見ていなくてごめんなさい、ぜひ来てね、と。

人づてに聞いた連絡先を頼って4月から数回連絡していた所で、私も行ったことがありません。メッセージを見ていないか、知らない外国人からの下手な中国語の連絡は怪しいと思われたか、音沙汰なし。読んだ形跡もなし。こちらも大して気にしておらず。私でも立場が逆ならすぐに返信したりしませんから。期待していなかったからこその嬉しさもあるわけです。

帰国してから相手がつかまるなんて、タイミングが悪いとも言えるけれど、私はなんだか嬉しい。相手から返信してくれるのは、あちらも心づもりができたというサインのような気がするからです。

また行かねば花蓮へ。新社へは行けそうで行けない。4月は現地の方に会えたものの、再訪の機会に恵まれません。8月は台風でこちらからキャンセル。先週は相手が沖縄に行っていて会えなかった。今回連絡をくださった施設はその先にあります。

何だか縁が薄い土地だなあと思っていた矢先だから、相手から連絡が来たことに特別な意味づけをしてしまいます。やっと、来てもいいよと扉を開いて貰った気がします。

それは思い込みだろうけれど、思い込みでもよい。もはや、人を連れて行くためだけではなくて、私自身が魅かれ始めている場所だからです。どんなに時間がかかっても再訪したい。そんな風に想いが強くなることも、縁ではないかと思います。