我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

キジムナー

やちむん通りでキジムナーに会いました。1人でお店の入口近くに座っておりました。

お店の人に聞いたら、あの子はとても人気があってすぐに売れてしまうので今は一体しかない、今朝のお客さんも買いたいと仰ったのだけれど、一体しかないから(複数で来られたお客さんかしら?)諦めて帰られた。もうすぐあの子も売れるでしょう、とのこと。

それを聞いて、ピンときました。キジムナーは私が来るのを待っていたわけです。というわけで、今日からうちの子になりました。残り物には福があります。私のために頑張って残っていてくれてありがとうね。

今日はちょっと落ち込んで那覇に来たのです。私は人に話を聞いたり、文章を書いたりする仕事もします。でも、父の語りを引き出すことはできないのです。そのことがずっと心に引っかかっていて、それを殊更思い悩んだのは週末も仕事で疲れがたまっていたからかもしれません。キジムナーの顔を見て、そういう悩みが薄らぎました。消えない悩みではあるけれど、考えてみれば、世の中の多くの人は、自分の物語を残すことなく、静かに消えて行くのかもしれません。