我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

2016年6月3日のこと

随分前のような、つい先日のことのような。旅先での記憶のすべてではなくて、わからないから蓋をしておいた1時間ほどのこと。西表の公民館でおじさんたちが歌った歌のこと。皆が歌詞を覚えているわけではないらしく、紙を見ながらおぼつかない様子で口ずさんでいた人も何人かいたこと。2016年6月3日。今なら、もう少しいろいろ引っかかりを見つけられたと思うのです。あの歌には、その後の踊りには、それぞれどんな意味があったのか、そこに出された食事にはどんな季節感があったのか。何も知らずに行ってしまって、本当に惜しいこと。 

f:id:wodebeizi:20190519212643j:plain

写真を見返すと、今ではコースターの素材の方が気になります。


f:id:wodebeizi:20190519211605p:plain

このところ、『八重山を学ぶ』という教科書みたいな本を読んでいました。随分前に読み始めたのですが、さらっと読み進めることができなかったのです。特に歴史のところ。いろいろ引っかかるので、毎晩数ページ程度。休日に十数ページ読んでは、疲れてしまいました。

端っこに住む人たちの物語ですが、私が学校で昔習った歴史と、同じ時代なのに違う人物、違う制度で語られる。場所が違うとこうも見え方は変わるのか、という衝撃。彼らの歴史が日本語で書かれ、語られることは、「当たり前」なのか、島の人はどんな八重山の発展を思い描いていたのか、「八重山」の一体感とそれぞれの島の関係がどうだったのか、という疑問。

活字文化の興隆と、教育熱、学習熱の高さが伝わってくる郷土出身者の活躍、写真から垣間見える近現代を生きる女性のおしゃれへの関心、伝統行事の継続が語る複雑な人間関係。知る由もなかった八重山の昔。

本土と違う風土、伝統、上下関係、昔から伝わる暗黙のルール、本土の官吏との軋轢。人の世だから、小さな島に住む皆が善人とは限らなかっただろうし、狭い世界で息が詰まることもあったと思います。島で暮らすというのはしんどいことなのだなあと知らしめてくれた本。憧れだけで「素敵な島」という思い込みを崩してくれた一冊。

端っこというのは、どこでもグレーゾーンになりがちなのか。グレーに見えるのはこちら側から見るからでしょう。グレーゾーンの中に立ってみれば、目の前には青い海が広がっているのでしょう。全然グレーじゃない、海のルール、山のルール、集落のルールがあったのだと思います。忖度グレーもあったかもしれないけれど。

アメリカの軍人の名前が付いた道路が今もあるということが、とても印象的でした。次に行ったら、その道を歩いてみたいです。

f:id:wodebeizi:20190519203358j:plain