我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

猫とじいちゃんとばあちゃんの島

私が住む市内にも保護猫カフェができたそうです。その一方で、職場に住みついている猫は目を病んだらしく、可哀そうではありますが、今のところなすすべがありません。

やるせない気持ちとは、こういうことを言うのでしょうか。心を落ち着かせようと、オフィスに寄って30分ほど座り込んでいました。

さて、今日はお休みを頂いて『ねことじいちゃん』を観に行きました。動物ものはあまり観ないのですけれど、タマのポスターが可愛かったので、公開初日の最初の上映時間に行きました。これは多分、正解。

初日とはいえ、平日の朝ですから、普通は映画館にあまり人はいないのです。でも今日はわりとお客さんが入っていました。しかもほぼ全員が、いつでも大吉さんやトメさんの代役が出来そうな年齢の方たちです。半分くらいは男性でした。これは、夕方17時40分からの最終上映では見られない光景だと思うのですよね。ご夫婦連れも何組かいましたが、男性一人で見に来ていらっしゃる方も少なくありませんでした。私は映画も好きですが、映画を観に来る人たちを観察するのも好きです。

「ねことじいちゃん」は、佐久島の美しい風景とのびのびとした猫たちが主旋律となって、老いと過疎と少しの青春が描かれます。あんたがいなくなったら私は誰と喧嘩すればいいのよ、という言葉には泣かされました。物語はとてもシンプルで、登場人物はみんないい人という理想郷ですが、それでも一人、また一人と鬼籍に入っていく、あるいは島を出て行くことで、登場人物に制限時間が言い渡されていくように思えます。

東京で暮らす息子の部屋は、マンションの書斎スペースでしょうか。狭い空間は机と椅子の周りをいろいろなモノと本棚が取り囲んでいます。隙間がないほどごちゃごちゃした机の上を息子の猫が歩き回る。嫁と娘の顔は映画に出てこない。一緒に住もうよと何度もお父さんに呼びかけながら、どことなく自信なさげな、頼りない雰囲気があります。

狭い息子の部屋とは対照的に、一人と一匹が悠々と暮らす大吉の家。巌の家。サチの家。猫と島の人々との良い所だけ拾い集めた作品。写真家が撮った映画を、私は初めて観たかもしれません。この人は猫を撮らせたら上手いというけれど、佐久島の美しさがじんわりと伝わってくる映画でした。