我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

帰国する勇気

何だか変な旅行でした。

いろいろ楽しい思いはしたのですが、人生初、旅行を中断して帰国しました。それも、明確な理由がないまま直感的に、です。

当初は、2日目は宿泊地の嘉義から虎尾に行ってサトウキビ列車を見よう、そして最終日に市内観光を少し、と思っていました。でも2日目の朝になると、せっかく嘉義に来たのだから地域の歴史を知ろうと、市内見学に切り替えました。結論からいうと、かなり充実した一日になったので、予定変更は正解でした。

ホテルに戻って翌日のプランを考え、虎尾を見てから台北か、それとも台北に戻って三貂嶺か基隆に行こうかと迷っているうちに、いつの間にか眠っていました。夜中に胃の辺りの鈍い痛みで眠りが浅くなったところに、仕事のメールが入って来ました。いつもは夜中メールは無視しますが、一応目を通しました。すぐに対応する必要はありませんでしたが、目が覚めてしまいました。痛みはだんだん強くなり、かといって、病院に行くほどではない。亡くなった祖母の夢を見たことも重なって不安になり、もしフライトが取れたなら旅行を切り上げて帰ろう、と思いました。普段はそんなこと思いません。現地で病院にかかっても最後まで滞在する人です。でも、その時はあまり迷うことなく、帰った方が良いと思いました。

夜中の2時頃、変更条件を確認してフライト検索。追加料金で席がとれました。ホテルは当日夕方6時までに連絡すれば無料キャンセルできたので、フライトの追加料金と差し引きでトントン。ホテルにもメールを入れて連絡しました。こんなにスムーズに手配できるなんて、これは多分、帰れという天の声と理解しました。

今回、会いたい人もいたのですが、なぜか事前に連絡する気にならず、グズグズしておりましたが、結果からいえば連絡せずにいてよかったと思いました。縁があればまた会えるでしょう。

今回は計画段階から、遠くに行こうと予定を立てれば、途中で「やっぱりやめとこう」という気分になる、という繰り返し。実は出発の1週間前に、行くのを止めようか、短縮しようか迷っていました。でも、せっかくフライトも休暇も取ったのだし、行かなきゃと思う気持ちも強かったのです。やっと決まった旅程を変更するのは、なんというか、勇気が必要です。

旅先で体調を崩したことはこれまで何度もありますし、その度にどうにか乗り切ってきたわけですが、今回は「もうここでやめて良し」のスイッチが初めて入りました。あまり落ち込むことなく判断できたのは、ヨガの先生がレッスン中によく仰る「自分を責めないで、今の状態をそのまま見てあげてください」という言葉が脳裏に浮かんだからでしょうか。

朝目が覚めたら痛みはどこかへ消えておりましたが、最終日にちょっと遠出しようと思っていると痛みがぶり返しました。「ああ、これは行くなというメッセージだ」と思い、動き回るのは諦めました。

他人が聞いたら、何だそんなこと、程度の話です。私も自分が体験するまではその感覚を本当には理解していませんでした。人生の少し先輩たち男女5人から、それぞれ別の機会に、50歳前後のショックなことについて話を聞いたことがあります。それは、慣れた外国へ出張に行った時に、それまで経験したことがない心身の不調で突然寝込んだり、緊急帰国した体験談でした。そんな事態に直面した時はとてもショックだったそうです。なかには、自分はそんな弱い人間ではないと信じたくて、なかなか現実を受け入れられなかった方もいらしたようです。そういう話を聞いていなかったら、私もショックを受けていたかもしれません。

私なりの解釈ですと、旅もほどほどに力を抜く時期に入ったのだと思います。時間ばかり見ていたり、駆け足で詰め込んでばかりでは、昨年のプユマ号の事故みたいになってしまいます。しかも今回は仕事じゃなくてゆっくりしようと来た休暇ですし、ギリギリまで頑張る旅では本末転倒です。

自分の判断が間違っていないと確信できたのは、帰ると決めた時、そして帰国の手配を調えた時、ホッとしたからです。

おかげで台北では買い物三昧になりましたが、限られた時間を効率的に使うことができました。

帰国してから、ちょっと行き詰っていた仕事に新鮮な気持ちで取り組めるようになりました。切迫感が消え、楽しくなっています。ただ、体内時計が台湾時間のまま、なかなか戻りません・・・。

次回の休暇は石垣島です。これもチケットとホテルは取ってしまったので(笑)行きます。さて、どんな風に過ごしましょうか。