我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

専売局と憲兵さん

毎日ちょっとずつ散歩するように、又吉盛清『台湾 近い昔の旅―台北編ー植民地時代をガイドする』を読んでいます。

台北に持って行くこともありますが、いろいろ用事が詰まっている時や仕事を抱えて行く時は家に置いて行ったりします。先月の台北旅行も置いて行きました。

帰宅してから、また読み始め、あ~やっぱり持って行けばよかった、と後悔しました。

9月後半の日曜日、中華文化総会で、1970年代の馬祖や台中などで撮影された若い兵士の写真と、彼らの今の写真を並べた写真展に行きました。

受けつけの年配の女性が、日本が大好きだそうで、11月に名古屋に旅行に行くの、と話しかけてきました。その方が、このビルを出たら右に曲がったら、すぐそこに日本統治時代の立派な建築があるからぜひ見て帰りなさい、今日は中には入れないけれど、外をぐるりと回るだけでも見る価値があるから、と言いました。日本は立派な建築をたくさん残してくれたけど、中国は何ひとつ建築していない、とも。彼女の言う中国は、国民党のことですね。

文化総会のビルを出て、右、少し歩いて歩道を渡り、さて、どこにあるんだろう、と思っていましたら、その日はやたら憲兵が多かったのです。そのあたりに憲兵と関連のある施設があるのか、それとも、その日の朝にアメリカの指名手配犯が台北で捕まったことと関係があるのか、わかりませんでしたが、憲兵の他は周りに人がいなかったので、憲兵をつかまえて聞きました。ところが、若い憲兵さん、3人集まっても日本統治時代の建築がどこにあるかなど知らなかったらしく、この辺りはないと思う、という答え。彼らが問答している間に、私は路地の奥(その辺も監視カメラと憲兵が多くて、入っちゃいけない区域かと思っていたのです)にレンガ造りの洋館を見つけ、あれを観に行きたい、と言うと、「どうぞご自由に」と、彼らはお昼を食べに行ってしまいました。

その洋館が元専売局、今の台灣菸酒股份有限公司でした。その時は、ふーん、立派ねえ。説明書きも読んで、なるほどね、で終わりました。1913年(大正2年)に建てられ、1922年に中央の一番高い塔の部分が完成したのだそうです。

帰国して又吉氏の本を読んでいると、この建物が出てきました。一部、氏の見解も交えながらの説明ですが、本の説明の方が読みごたえがあります。やはり台北旅行には持って行きたい一冊です。

それにしても、憲兵さんとの会話、世代のギャップをはっきり感じました。

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