我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

読書と言葉と妖怪と神様 in おきなわ

久しぶりに本を読みました。このところ、忙しかったから、少し充電です。

ちょっとしたきっかけで知った『Summer Vacation』という短編。儀保佑輔さんという方の作品でした。中学生の頃、高校生の頃、こんなだったのかなあ。もう遠すぎて思いだせないなあと思いながら読みました。私は、『断絶の音楽』という後半の短編がいいなと思いました。沖縄の言葉はユーモラス。死と無気力をテーマにしながらも、主人公は死神とおきなわの言葉で話すから、どことなくのんびりとしていて愛嬌があります。

おきなわの言葉というのを、初めて生で聞いたと言ったら怒られるでしょうか。先日、那覇でポーク卵おにぎりを買った時、ファミマの女性店員が「温めますか」「温めた方がいいですか」「ポークだからですね」と仰いました。「・・・だからですね」のイントネーションが可愛らしいのに加えて、言い回しがちょっといいなあと思いました。

『断絶の音楽』は妖怪の話でもあります。私も、ちょっとだけ不思議な体験の持ち主です。昨年10月に初めての沖縄旅を計画した時、旅行が近づいた頃に夢をみました。色鮮やかな瓦のついた朱色の壁の向こうに広い空間、その先に朱色の建物か、街のようなものが見えました。私は壁のこちら側の、朱色の神社のような所に立っていました。目の前に小さな石の庭とそれほど背の高くない細い木。庭の端っこに襤褸を纏った子供が膝に顔を埋めて座っていました。壁の向こうの灰色の石が敷き詰められた広場に人気はなく、どんよりと黒い雲が立ち込めた曇り空。壁の向こうを覗こうとしていた自分は、何を思ったのか、目の前にしゃがみこんでいた痩せ細った子供ーその子は両腕がありませんでしたーを壁の向こうに投げ入れました。自分の行動に心臓がバクバクしていた時、壁の向こうから何かが投げ返されてきました。白い子犬でした。その子犬に怪我がないか確かめる自分を見ている、そんな夢でした。

その日か翌日に台風が発生して、沖縄往きはキャンセルになりました。何カ月も前に見た夢ですが、今でもわりとはっきり思い出すことができます。偶然で思い違いっていうことも十分にあるでしょうけれど、おきなわの土地のかみさまが、私が行くべき時を決めてくれているように思います。

今回は酷い雨でしたので、首里城には行かず、その周辺を歩いていましたら、古井戸やお墓や泉に出会いました。古い石門にも会いました。予想もしなかった小さな歴史の足跡。土地の神様に手を引かれるように歩きました。

・・・話を本に戻しますと、ちょっとですね、若い人たちに対する見方が優しくなったような気がします。