我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

ターラ・ブランカ

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不注意で、バッグのファスナーに咬ませてしまい、ストールに穴を空けてしまったのです。

穴が空いたストール、目立たないように折り込んで使っていましたが、黄色と紫の糸が織りなす生地に素敵な刺繍が入ったもの。体を包むように広げて使いたいと思っていました。

やむなく2枚目をオンラインショップで購入した時、写真を添付して試しにメール連絡してみましたら、直るかもしれない、とのお返事。とりあえず会社宛てに送ってみましたら、補修できそうなので、社員がインドへ出張する時に持って行くとのお話。時間がかかると言われましたが、手刺繍で、しかも私に馴染んだ、世界に1枚だけの品。どれだけ時間がかかっても構わなかったのです。

それから2カ月弱。今日、届いた補修済みのストールは、どこに穴が空いていたのか、素人にはさっぱりわかりません。長年使い込んだ柔らかな布に包まれる幸せ、に浸っています。

 

戦闘モード

金曜日の夜は早く帰ろうと思っていたのに、夕方届いたメールを読んで、抗議文を書きました。何度も書き直していたら、職場を出るのが夜10時頃になってしまいました。

私、抗議文を書いてみることはあるのですが、実際に出したのは今回が初めてです。握りつぶされるのも嫌なので(残念なことにその可能性を否定できない)、先輩格の方にもBCCで送りました。しばらくして、その方から同意のお返事と、その方が出された抗議文のコピーが届きました。

上から言われたことを、不満と疑問を持ちながら呑み込むのは、やめようと思いました。納得できる範囲なら呑み込んでもよいと思いますが、新しい規定を100%受け入れることは仕事上できないだろうと予測がついたので、声を上げることにしました。

それにしても、文書の差出人を部署名にするのはやめてほしいです。その部署の誰が責任者なのか書けない文書なら出すべきではないと思います。新たな規定を定める根拠が国のガイドラインというなら、どのガイドラインかを示すべきです。水戸黄門の印籠ではあるまいし、こちらは「ガイドライン」と聞いただけでひれ伏したりはしません。

まあ、ちょっとした戦闘モードです。

新日本風土記

録画の記録を見ると、先週の金曜日の夜9時だったようです。新日本風土記の沖縄編です。再放送なのかな、確認はしていませんけれど。

その映像を見ていて、やっぱり気になるのです。「内地」と「本土」。この間、沖縄に行った時は、那覇の人も普天間の人も「本土」と言っていました。番組の中の石垣島の高校生は「内地」と言っていました。使い分けているのか、八重山は「内地」なのか、世代によって違うのか、別に気にしていないのか、私には見当がつきません。興味津々です。

映像の中で、愛楽園が出てきました。上皇夫妻が二回訪問された場所だそうです。愛楽園が出てくる記録を、昨年読んだ記憶があります。本を読んで想像していたよりも青い空、緑の美しい敷地。皇太子時代の上皇夫妻を出迎えたという女性が、汗がたらたら流れて、美智子様の白い肌からも汗がたらたら流れていて・・・と話していました。あー、これが沖縄なのか。哀しい苦しい思いがあっても、それを取り囲む空と海と花の美しさ、緑の鮮やかさ。美しい映像から、その土地の湿度と温度は伝わってこない。これは注意してみないといけないなあと思いました。

コザゲート通りも出てきました。ついこの間、寄り道した所。

番組の最後で、八重山高校の女の子が、太陽のような笑顔で、将来は島に帰ってきたいと言っていました。

私、また遊びに行きたくなりました。

卵焼き

しばらく家を空けていたので、冷蔵庫の卵の賞味期限が2週間過ぎていました('_')。

小ぶりの卵が5個も残ってる・・・もう、面倒・・・と思って、まとめて卵焼きにしました。卵を割って、ちょっと思い出して、キビ砂糖大さじ1とお醤油小さじ1ちょっと。小口切りした葱を適当に加えて、よく混ぜて弱火でゆっくり、ゆっくり焼いてみました。私的には、いい感じの黄金色。

これ、おとーさんのおかーさんの味になっているだろうか。モノがなかった時代の田舎の卵焼き。今度、聞いてみようと思います。

キジムナー

やちむん通りでキジムナーに会いました。1人でお店の入口近くに座っておりました。

お店の人に聞いたら、あの子はとても人気があってすぐに売れてしまうので今は一体しかない、今朝のお客さんも買いたいと仰ったのだけれど、一体しかないから(複数で来られたお客さんかしら?)諦めて帰られた。もうすぐあの子も売れるでしょう、とのこと。

それを聞いて、ピンときました。キジムナーは私が来るのを待っていたわけです。というわけで、今日からうちの子になりました。残り物には福があります。私のために頑張って残っていてくれてありがとうね。

今日はちょっと落ち込んで那覇に来たのです。私は人に話を聞いたり、文章を書いたりする仕事もします。でも、父の語りを引き出すことはできないのです。そのことがずっと心に引っかかっていて、それを殊更思い悩んだのは週末も仕事で疲れがたまっていたからかもしれません。キジムナーの顔を見て、そういう悩みが薄らぎました。消えない悩みではあるけれど、考えてみれば、世の中の多くの人は、自分の物語を残すことなく、静かに消えて行くのかもしれません。

贈り物

最近、ハンカチを頂く機会が増えました。たいてい女性からの贈り物です。一方、男性はスカーフをくださる方が多いです。あまり親しくない方でもそれを選ぶようですし、複数の方が贈ってくださったところをみると、スカーフは女性への贈り物の定番なのでしょうか。

こうしたスカーフを私はほとんど使いません。ハンカチはすべて使わせて貰っています。誰から貰ったかではなくて、スカーフは顔周りの比較的大きなスペースを覆うので、どれでもよい・・・わけではないのです。服との相性や身長とのバランスもあります。肩の張り方や肩幅によってもスカーフの収まり具合は変わってきます。それに比べて、ハンカチはちょっとしたアクセントみたいなものだし、たいてい鞄の中に入っているので、どんな柄でも色でもよく、自分が買わないタイプのものを貰うと楽しかったりします。

頂き物のスカーフは、光沢のあるシルクであることが多いです。きれいなのですが、肩にかけるとスルリと落ちやすい。シルクウールだと滑り落ちないのですが、それは親しくない人へのお礼には高すぎます。コットンも味わいがあって素敵なのですが、贈り物にするには個性が強すぎるかもしれません。シルクのスカーフは実用面では役に立たないけれど、無難なのかもしれません。店員さんもきっとシルクのツルツルしたスカーフを勧めると思います。

いろいろ難癖をつけていますが、贈ってくれた人の気持ちには感謝しています。だから、貰った後で「どうしよう」になるわけです。でも、もしかしたら相手は贈ることが目的で、使ってほしいなんて思ってないかもしれない・・・、いつものように、いろいろ考えてしまいます。難しいですね。

人から頂いたものだけではなくて、自分が贈ったものも同じような状況にあるようです。先日、実家に寄りましたら、父に「お前が贈ってくれたオイルヒーター、処分してもいいか」と言われました。デロンギのオイルヒーター、壊れてはいないしキャスターもついていますが、重くて存在感がありすぎるのです、たぶん。それに、電気代が高い。乾燥肌で寒がりの父がエアコンをつけて寝ており、居間ではストーブを使っていたので、部屋の空気があまり乾燥しないように、火を使わなくても済むようにと贈ったものでした。それから10年余り、ストーブは毎年愛用され、寒い夜はエアコンのスタイルも変わることなく定着しています。馴染みのないオイルヒーターは居場所を見つけられずにいたようです。

贈って一番喜ばれるもの、迷惑にならないものって何だろう。思いつくのは、その人を思いやる言葉、労いの言葉。モノならば、普段使いのもの、すごく特別というわけではないもの。

それほど珍しくないものや、何気ない言葉が、贈ってくれた人や言ってくれた人によっては一番の宝物になる。そして、何年経っても邪魔にならない。そういうのがいいなあと思います。

距離

夫婦にはそれぞれ独特の距離感があるのだと、あるカップルの後ろを歩きながら思いました。マンションのゲートから、30センチほどの距離をあけて最初に夫が、次に妻が出て来て、ほぼ横並びに歩き始めた二人の距離は1メートル以上離れていました。

会話もなく、あれ、もしかしたら他人だった?と思っていたら、二人の横を逆向きに自転車が走ると、カップルの距離はだんだん近づいて30センチを切り、少し速度が落ちて、動詞だけが明瞭な会話が始まりました。何か問われた相手の返事は風に吹かれながら「うん?」「うん」。

老親を振り返れば、入退院を挟むと相手がいてくれることのありがたみが実感されるのか、何となく猫みたいに寄り添っています。

夫婦の距離は誰にもわかりません。妻は、夫に従っているつもりでいて、夫が目の前にいない時には「お父さんはわかってない」とつぶやいたりする。夫には、塩を入れた薄味の「お母さん」の卵焼きも悪くないけれど、醤油と砂糖で作った「おとーさんのおかーさん」の卵焼きが食べたいという思いをずっと隠してきた過去がある。成人した子どもは、そんなものかなあと思いつつ、どうでも良さそうな事にも思えて、いい加減にしてぇと思っていたりする。試しに醤油と砂糖で卵焼きを焼いて二人に食べさせたら、「懐かしい。おばあちゃんの味に似てる」と、母の母の味に行きつきました。「おとーさんのおかーさん」は「おとーさん」が10歳の頃に亡くなったので、それは幻の味になってしまい、どうやっても再現できないようなのです。お父さん、お母さん、おばあちゃん、と呼ばれる関係性は、子どもを中心に作られたもの。それとは別の、子どもが気づかなかった夫婦の関係性。

私が生まれる前、父は義理の両親を何と呼んでいたのかしら。

私の身近な人たちはそれぞれいくつもの関係性を持っていますが、その関係性と並行して「わたくし」を持っていて、時々、時には長く、孤独や違和感や悲しみを感じることがあるようです。そんな当たり前のことを、今頃、子どもが気づいたりします。