我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

贈り物

最近、ハンカチを頂く機会が増えました。たいてい女性からの贈り物です。一方、男性はスカーフをくださる方が多いです。あまり親しくない方でもそれを選ぶようですし、複数の方が贈ってくださったところをみると、スカーフは女性への贈り物の定番なのでしょうか。

こうしたスカーフを私はほとんど使いません。ハンカチはすべて使わせて貰っています。誰から貰ったかではなくて、スカーフは顔周りの比較的大きなスペースを覆うので、どれでもよい・・・わけではないのです。服との相性や身長とのバランスもあります。肩の張り方や肩幅によってもスカーフの収まり具合は変わってきます。それに比べて、ハンカチはちょっとしたアクセントみたいなものだし、たいてい鞄の中に入っているので、どんな柄でも色でもよく、自分が買わないタイプのものを貰うと楽しかったりします。

頂き物のスカーフは、光沢のあるシルクであることが多いです。きれいなのですが、肩にかけるとスルリと落ちやすい。シルクウールだと滑り落ちないのですが、それは親しくない人へのお礼には高すぎます。コットンも味わいがあって素敵なのですが、贈り物にするには個性が強すぎるかもしれません。シルクのスカーフは実用面では役に立たないけれど、無難なのかもしれません。店員さんもきっとシルクのツルツルしたスカーフを勧めると思います。

いろいろ難癖をつけていますが、贈ってくれた人の気持ちには感謝しています。だから、貰った後で「どうしよう」になるわけです。でも、もしかしたら相手は贈ることが目的で、使ってほしいなんて思ってないかもしれない・・・、いつものように、いろいろ考えてしまいます。難しいですね。

人から頂いたものだけではなくて、自分が贈ったものも同じような状況にあるようです。先日、実家に寄りましたら、父に「お前が贈ってくれたオイルヒーター、処分してもいいか」と言われました。デロンギのオイルヒーター、壊れてはいないしキャスターもついていますが、重くて存在感がありすぎるのです、たぶん。それに、電気代が高い。乾燥肌で寒がりの父がエアコンをつけて寝ており、居間ではストーブを使っていたので、部屋の空気があまり乾燥しないように、火を使わなくても済むようにと贈ったものでした。それから10年余り、ストーブは毎年愛用され、寒い夜はエアコンのスタイルも変わることなく定着しています。馴染みのないオイルヒーターは居場所を見つけられずにいたようです。

贈って一番喜ばれるもの、迷惑にならないものって何だろう。思いつくのは、その人を思いやる言葉、労いの言葉。モノならば、普段使いのもの、すごく特別というわけではないもの。

それほど珍しくないものや、何気ない言葉が、贈ってくれた人や言ってくれた人によっては一番の宝物になる。そして、何年経っても邪魔にならない。そういうのがいいなあと思います。

距離

夫婦にはそれぞれ独特の距離感があるのだと、あるカップルの後ろを歩きながら思いました。マンションのゲートから、30センチほどの距離をあけて最初に夫が、次に妻が出て来て、ほぼ横並びに歩き始めた二人の距離は1メートル以上離れていました。

会話もなく、あれ、もしかしたら他人だった?と思っていたら、二人の横を逆向きに自転車が走ると、カップルの距離はだんだん近づいて30センチを切り、少し速度が落ちて、動詞だけが明瞭な会話が始まりました。何か問われた相手の返事は風に吹かれながら「うん?」「うん」。

老親を振り返れば、入退院を挟むと相手がいてくれることのありがたみが実感されるのか、何となく猫みたいに寄り添っています。

夫婦の距離は誰にもわかりません。妻は、夫に従っているつもりでいて、夫が目の前にいない時には「お父さんはわかってない」とつぶやいたりする。夫には、塩を入れた薄味の「お母さん」の卵焼きも悪くないけれど、醤油と砂糖で作った「おとーさんのおかーさん」の卵焼きが食べたいという思いをずっと隠してきた過去がある。成人した子どもは、そんなものかなあと思いつつ、どうでも良さそうな事にも思えて、いい加減にしてぇと思っていたりする。試しに醤油と砂糖で卵焼きを焼いて二人に食べさせたら、「懐かしい。おばあちゃんの味に似てる」と、母の母の味に行きつきました。「おとーさんのおかーさん」は「おとーさん」が10歳の頃に亡くなったので、それは幻の味になってしまい、どうやっても再現できないようなのです。お父さん、お母さん、おばあちゃん、と呼ばれる関係性は、子どもを中心に作られたもの。それとは別の、子どもが気づかなかった夫婦の関係性。

私が生まれる前、父は義理の両親を何と呼んでいたのかしら。

私の身近な人たちはそれぞれいくつもの関係性を持っていますが、その関係性と並行して「わたくし」を持っていて、時々、時には長く、孤独や違和感や悲しみを感じることがあるようです。そんな当たり前のことを、今頃、子どもが気づいたりします。

2016年6月3日のこと

随分前のような、つい先日のことのような。旅先での記憶のすべてではなくて、わからないから蓋をしておいた1時間ほどのこと。西表の公民館でおじさんたちが歌った歌のこと。皆が歌詞を覚えているわけではないらしく、紙を見ながらおぼつかない様子で口ずさんでいた人も何人かいたこと。2016年6月3日。今なら、もう少しいろいろ引っかかりを見つけられたと思うのです。あの歌には、その後の踊りには、それぞれどんな意味があったのか、そこに出された食事にはどんな季節感があったのか。何も知らずに行ってしまって、本当に惜しいこと。 

f:id:wodebeizi:20190519212643j:plain

写真を見返すと、今ではコースターの素材の方が気になります。


f:id:wodebeizi:20190519211605p:plain

このところ、『八重山を学ぶ』という教科書みたいな本を読んでいました。随分前に読み始めたのですが、さらっと読み進めることができなかったのです。特に歴史のところ。いろいろ引っかかるので、毎晩数ページ程度。休日に十数ページ読んでは、疲れてしまいました。

端っこに住む人たちの物語ですが、私が学校で昔習った歴史と、同じ時代なのに違う人物、違う制度で語られる。場所が違うとこうも見え方は変わるのか、という衝撃。彼らの歴史が日本語で書かれ、語られることは、「当たり前」なのか、島の人はどんな八重山の発展を思い描いていたのか、「八重山」の一体感とそれぞれの島の関係がどうだったのか、という疑問。

活字文化の興隆と、教育熱、学習熱の高さが伝わってくる郷土出身者の活躍、写真から垣間見える近現代を生きる女性のおしゃれへの関心、伝統行事の継続が語る複雑な人間関係。知る由もなかった八重山の昔。

本土と違う風土、伝統、上下関係、昔から伝わる暗黙のルール、本土の官吏との軋轢。人の世だから、小さな島に住む皆が善人とは限らなかっただろうし、狭い世界で息が詰まることもあったと思います。島で暮らすというのはしんどいことなのだなあと知らしめてくれた本。憧れだけで「素敵な島」という思い込みを崩してくれた一冊。

端っこというのは、どこでもグレーゾーンになりがちなのか。グレーに見えるのはこちら側から見るからでしょう。グレーゾーンの中に立ってみれば、目の前には青い海が広がっているのでしょう。全然グレーじゃない、海のルール、山のルール、集落のルールがあったのだと思います。忖度グレーもあったかもしれないけれど。

アメリカの軍人の名前が付いた道路が今もあるということが、とても印象的でした。次に行ったら、その道を歩いてみたいです。

f:id:wodebeizi:20190519203358j:plain

 

琉球と台湾と

知らない誰かのインスタで見かけて、あれっと思ったのです。

琉球犬という犬がいるらしいです。私は見たことがないから知らないけれど、琉球犬の舌には黒い斑点があるのだそうです。

それって、台湾土狗と呼ばれる台湾犬にもあります。

シーズーだのフレンチブルだの飼い犬の定番を見慣れていると、細身で真っ黒な台湾犬はちょっと怖い感じがしますが、琉球犬を写真で見る限り台湾犬より野性的な印象を受けます。

舌に黒い斑点をもつ犬は他にもいるかもしれないけれど、沖縄には沖縄の固有種が、台湾には台湾の固有種がいて、共通点もあると思うと、何だか楽しい。猫は、琉球猫とか台湾猫って言わないと思いましたら、…いえ、琉球猫はおりました。 

f:id:wodebeizi:20190511204514j:plain 

台所で立ち話

自分が貰ったのだから最後まで責任をとる。

80を超えた男の言葉です。

ああ、この人は、こういう覚悟でずっと過ごしてきたのかと、初めて知りました。

台所での立ち話。私以外は誰も知らない言葉。

自分が生活するスペースだけどうにか確保するかのように、他の場所は掃除の手が回らない様子。お仏壇のお茶は何日換え忘れていたのか、茶葉が入っていたので黴が生えていてびっくりしましたが、それは妻の日課とインプットされたままなのでしょう。

それでも自分で食事を作り、仕事もしているし、病院もちゃんと行っていると自慢するこの人を、すごいなあと思っています。できることをできる範囲でする、したいことはちょっと無理してでもする。そういうスタイルのようです。

80を過ぎた人が発する「責任」の言葉は重すぎて、圧倒されます。いろいろあったけれど、この人を一人の人間としてみれば、ちょっとしたお芝居の脚本になるくらいの魅力はあったのかもしれません。家族だからこそ見えないこともあるわけです。

高齢だからといって一括りにするのは間違いかもしれないと思いました。

鉄棒

高齢の親がついつい自転車に乗って転んでけがをしたのは、親世代の価値観が高度成長期のままストップしてしまったからではないかと思ったりします。

早く、早く、早く。あれとこれを買って急いで帰らなきゃ。急いで帰ってお昼の支度をしなくちゃ。

いいえ、あなたを待っている人は、一食抜いたくらいで倒れるほど栄養状態が悪いわけではありません。何なら一日食べなくても大丈夫なはずです。文句は言うでしょうけれど。

何だかちょっと、昨年のプユマ号脱線事故を思い出してしまいました。

そんなに急いでどうするの。バブルを知っている娘が、ほんの少し警鐘を鳴らせるのは、大小さまざまな「島」でその地域の生活を少しだけ見せて貰ったからかもしれません。若い人が出て行ってしまった後の静かな島、急ぎたくても急げない年齢にさしかかった人たち、急いで行っても何もないからと急ぐことを止めてしまった人たち、急ぐことに疲れて田舎に帰ってきた人たち。急ぐことを止めた人たちは、我が道を歩き始めるのでしょうか。お元気で、他人にも動物にも優しいなあと思います。

でも、それだけではないですね。私の後の世代は、いろいろ違う価値観を出してきました。自分より若い人たちの行動に感心することも、よくあります。人間関係のさばき方も、学生時代にアルバイトで苦労した若い世代の方が上手かったりします。

高度成長期からバブルの人たちは、自分がしがみついている鉄棒から落っこちることが一番怖かったりします。中には、思い切って砂場に飛び降りてみようとか、隣の低い鉄棒に移ろうとか、いろいろ違うパターンを見せる人もいます。鉄棒にぶら下がる両腕が疲れてくると、落ちたくない気分と、砂場に降りてみたい気分が、私の心の中で駆けっこを始めます。手を離す勇気、なかなかないのですけれど。

ことだま

不要多想と言われたことがあります。

3、4年前でしょうか。

いま思えば、考える必要がないくらい小さなことでした。

今は自分に言い聞かせています。不要多想, 不要多想喔。

言霊というのは、中国語でもあるのでしょうか。

20年近く前、北京の某大学の授業で、ある学部生の子が、これからプレゼンしなくちゃいけないのに私はとても緊張している、今から緊張を解くおまじないをするから、みんなも一緒もつき合ってほしい、と言って「我真棒,我真棒,真的,真的,真的,真的,真的,真棒!」と、三三七拍子の音頭でいきなり歌い始めたのでした。しかも振りつき。

クラスの子も先生も、皆あっけにとられながら振りつきで合唱するという、のどかな光景に出くわしたことがあります。そのおまじないが強烈だったので、その子の発表がどんな出来だったのか全然覚えていませんけれど、クラスの雰囲気が和んだのは確かです。

言霊、コトダマ、これまで気にしなかったけれど、信じてみようかな。

我真棒,我真棒,真的,真的,真的,真的,真的,真棒!

不要多想より元気になれそうなフレーズです。