我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

鉄棒

高齢の親がついつい自転車に乗って転んでけがをしたのは、親世代の価値観が高度成長期のままストップしてしまったからではないかと思ったりします。

早く、早く、早く。あれとこれを買って急いで帰らなきゃ。急いで帰ってお昼の支度をしなくちゃ。

いいえ、あなたを待っている人は、一食抜いたくらいで倒れるほど栄養状態が悪いわけではありません。何なら一日食べなくても大丈夫なはずです。文句は言うでしょうけれど。

何だかちょっと、昨年のプユマ号脱線事故を思い出してしまいました。

そんなに急いでどうするの。バブルを知っている娘が、ほんの少し警鐘を鳴らせるのは、大小さまざまな「島」でその地域の生活を少しだけ見せて貰ったからかもしれません。若い人が出て行ってしまった後の静かな島、急ぎたくても急げない年齢にさしかかった人たち、急いで行っても何もないからと急ぐことを止めてしまった人たち、急ぐことに疲れて田舎に帰ってきた人たち。急ぐことを止めた人たちは、我が道を歩き始めるのでしょうか。お元気で、他人にも動物にも優しいなあと思います。

でも、それだけではないですね。私の後の世代は、いろいろ違う価値観を出してきました。自分より若い人たちの行動に感心することも、よくあります。人間関係のさばき方も、学生時代にアルバイトで苦労した若い世代の方が上手かったりします。

高度成長期からバブルの人たちは、自分がしがみついている鉄棒から落っこちることが一番怖かったりします。中には、思い切って砂場に飛び降りてみようとか、隣の低い鉄棒に移ろうとか、いろいろ違うパターンを見せる人もいます。鉄棒にぶら下がる両腕が疲れてくると、落ちたくない気分と、砂場に降りてみたい気分が、私の心の中で駆けっこを始めます。手を離す勇気、なかなかないのですけれど。

ことだま

不要多想と言われたことがあります。

3、4年前でしょうか。

いま思えば、考える必要がないくらい小さなことでした。

今は自分に言い聞かせています。不要多想, 不要多想喔。

言霊というのは、中国語でもあるのでしょうか。

20年近く前、北京の某大学の授業で、ある学部生の子が、これからプレゼンしなくちゃいけないのに私はとても緊張している、今から緊張を解くおまじないをするから、みんなも一緒もつき合ってほしい、と言って「我真棒,我真棒,真的,真的,真的,真的,真的,真棒!」と、三三七拍子の音頭でいきなり歌い始めたのでした。しかも振りつき。

クラスの子も先生も、皆あっけにとられながら振りつきで合唱するという、のどかな光景に出くわしたことがあります。そのおまじないが強烈だったので、その子の発表がどんな出来だったのか全然覚えていませんけれど、クラスの雰囲気が和んだのは確かです。

言霊、コトダマ、これまで気にしなかったけれど、信じてみようかな。

我真棒,我真棒,真的,真的,真的,真的,真的,真棒!

不要多想より元気になれそうなフレーズです。

天使の心

忙しすぎると愚痴を言っておりましたが、忙しさに感謝することもあります。

仕事があって、職場があって、職場に通ってくる猫がいて、一番しんどい家族の問題からの逃げ場を見つけることがあります。

子どもがみんな天使であるわけではないし、親だからといってみんな観音様ではありません。どうしても一緒に過ごせない組み合わせだってあるでしょう。親になるための教育を受けてから親になるわけではないし、親になるための試験に合格した人だけが親になるわけでもありません。

落ち着かなかった心が落ち着いた場所は、休日の職場でした。私、自分が思っている以上に今の仕事が好きなのかもしれません。

気がついたら夜7時。暗い夜道を歩きながら、これまでの自分の選択は正しかったと思いました。奉仕し過ぎなくてもよいのです。私もいろいろ抱えているのだから、まずは私が潰れないように。

今夜は少し軽い足取りで帰宅しました。

頑張りすぎ

やっと世間は連休。しばらくは、職場の人たちの顔を見なくて済むのが嬉しい。

今朝は、職場で人が倒れ、医務の方を呼んで措置してもらいました。こんな時、自分の対応が適切なのか、いつも心もとなく感じます。とにかく、意識が戻ってくれてよかった。倒れた人も、無理して来ていたんだね。

それで気分的に疲れている所に、去年の仕事を終えてなかったからやってほしいという依頼。それはあなたの仕事だよ、と思いましたが、それを説得する間に、たぶん、終わるのです。私がやれば。本来説得してやって頂くべきですが、時間とエネルギーの節約から考えると自分が手を挙げた方が早い。疲れますけれど、その人にやってもらったところで、たぶん一からやり直しになるので。

こんな考え方は間違っているかもしれないけれど、人は一緒に仕事をした人をフィルターにして、その人の国を判断してしまうような気がします。私はどうも某国が苦手です。本当に苦手。まったく、もう。と、野良猫に愚痴を聞いてもらう夕べでした。

私、すごく頑張っていると思います。これは、良くないです。だから、お風呂場で滑ったりするのです。怪我がなかったのは幸い。自分が疲弊しないためのコツ、まだ見つけていません。それでちょっとしょんぼりしていたら、素敵なものが届きました。

花見小路の新しい靴です。カーキ色の履き心地の良い靴。明日はこれを履いて出かけます。何か良いことあるといいなあ。花見小路さん、今度は羽根の生えた靴を売ってくれないかしら。

十連休の予定決まり

今日はポリープを取ってきました。いろいろ雑事が増えてきたので、気になっていたことから一つずつ済ませていきます。

午後から職場に顔を出すつもりでいたのだけれど、今日は安静にしてね、無理とは言わないけど、という、こちらの心情を見通したような先生の言葉に従って、お休みです。どうせ仕事には終わりがありませんので、明日の朝からやっても同じです。

何も悪さをしないし、別に今でなくてもよかったのですが、この数年は大病院で行われる年一度の検診の度に指摘され、ちゃんと専門医に診て貰ってますと言っても、この子がくっついているがためにいつも総合判定がDになる、それにちょっとずつ成長してはいる、そんな子だったのです。検診担当の先生のキンキンした声で毎年説教されるのにもうんざりしていたので、取っちゃえ、です。

ちょうど十連休前で2週間エアロビとヨガがありません。人に会う仕事も動かない10日間。ちょうど良いタイミングだったのです。連休直前だと異常があった時に対応できないからいやだという病院の先生の意向もあって、月曜夜のエアロビが終わったらすぐ、というタイミング。明日からは普通に仕事します。

先生曰く、念のために十連休は旅行とか行かないでおとなしく過ごしてねだそうです。その言葉で、私の連休の過ごし方が決まりました。

この十連休、台湾語の集中期間とします。今は、始めたばかりどころか、始めたの「は」の字くらいの所にいます。今年中には「台湾語を習い始めた」と胸を張って言えるようにしたいです。

おはよう

昨日の朝にその子と初めて会った場所。思い出して今朝もちょっと寄り道してみましたら、やっぱり居ました。

向こうも気がついて、目が合ってしまったので、ゆっくりと瞬きを。あちらもゆっくりと瞬きを返してくれました。

「変な奴だけど、悪い子じゃなさそうだ」と思われているのだろうな。

休日も仕事しに来るくらい忙しいけれど、

新しい猫に出会うと、得した気分になります。そろそろ休日返上はやめたいと思います。

ぐぅの音

管理職のいっちばん下に陣取って10日。まだ自信がなくて声が小さめなのですが、我ながら、よく人の話を聞いているし、誤魔化した喋り方はしないし、くすっと笑わせるウィットは入れているし、まあまあ最初の船出は順調じゃないかと思います。ただ、当初の期待は大きく裏切られ、女性陣が全然あてにならない。会議にもそれ以外の仕事にも出てこない。つき合ってくれるのは、私が何をしでかすか心配なのか、前任者のおじさんたちばかりです。

今日の「え?」は、前振りなしで海外危機管理の担当にもなっていたことです。海外で台風に遭い、地震に遭い、スリに遭い、大雪に遭い、白タクにぼったくられ、と災難続きは私の方です。

会議を開けば先輩格が喧々諤々。仕方ないから聞いていますけれど。最後全部引き受けるのは私。わりが合わないなあ。

朝8時半から夕方6時半まで、それでも残りは明日、と切り上げるのですが、呆れるくらい雑用が入ってきます。夜9時半頃にミスを謝るメールが入って来たり、なんてざらです。でもねえ、取り返しのつかないミスって、滅多にないです。会議の書類で英語のスペルミスが一カ所あったくらいで、何度も謝らないでください。誰かが指摘して修正できたからよかったじゃないですか。

何だかとっても日本的だと思います。

私は、本読んだり、書き物をしたり、考える時間がもう少しほしいです。

時間よ止まれ!