我的杯子に詰め込まれた我的輩子の話です。

Happy Birthday to Me

1歳になりました。早いですね。

何となく始めたwodebeiziは、ブログというより独り言の、半日記的な空間になりました。人は書くことで落ち着きを取り戻したり、悲しみを癒したり、考えをまとめることができると感じた一年でした。

我的杯子の中を覗き込んでみると、本当にいろいろありました。

新しい仕事を引き受けるにあたって、これまで10年近く携わってきた業務を手放すことになりました。何もやって来なかったと思っていましたが、振り返ってみると、年に1,2回は企画を出して実施していました。その半分は海外から人を招聘したので面倒なこともたくさんありましたが、毎回予算をつけて頂いたことに感謝しています。おかげで人脈も広がり、学ぶことも多く、楽しかったように思います。でも、ここも潮時、そろそろ世代交代しないといけません。

私の新しい仕事は、前任者が築いたものを引き継いでいくのか、変えていくのか、まだ何もビジョンはありません。当面は仕事を覚えるのに精いっぱいでしょう。考えが浅い、人間関係に弱い、頑固、関心のないことはさっぱり頭に入って来ない。私の欠点はたくさんあります。それでも担ぎ上げられたということは、とりあえず担がれるくらいの使い道はあるのではないでしょうか。

自分の時間をどう作るか、いえ、自分にどう余裕を持たせるか。締め切りに追われないようにしないと、パニックになりそうです。締め切りに追われないためには、サクサク仕事を済ませるしかないですね。悩む前にキーボードを叩け、ですね。

公務でもプライベートでも旅好き、行くなら長く行きたい私にとって、管理職なんて本当に気が重いです。でも、この1年くらいの自分の変化を見ていると、若い時と同じ体力勝負の旅はそろそろ卒業の時期。自分の新しい生活パターンを作る調整期と思って2年間を過ごすのも悪くないかもしれません。そう考えるようにしてみても、今まで享受していた自由な時間や行動がある程度制限されることに、大きな不安と焦燥を感じています。

でも、やってみないとわからない。こいつでは拙い、と周囲が本気で判断したらそこでお役御免になるでしょう。そこまでは頑張ってみようかな。ヨガもエアロビも、こういう時こそ精神安定剤のように私を支えてくれます。

そしてとりあえず、新しい仕事が始まってすぐに花蓮に行くことを了承して貰いました。そこで気持を落ち着けてから、帰ったら頑張りますね。

まずはwodebeiziに、1年続いておめでとう。これからもよろしくね。

春節快到了

先日、上海でお世話になった先生の文章を読む機会があり、新年の挨拶にかこつけて3年ぶりに連絡をとってみました。

10年近く前、上海に半年滞在してみたいから誰か紹介して、と北京の友人にお願いした時、友人が会わせてくれたのがこの先生でした。

学者肌で、日本語はできなくて、あまり日本食も好きではなさそうで、お酒も煙草も嗜まれない方。なのに友人が面会場所に設定したのは日本の居酒屋で、先生はちょっと居心地が悪そうでした。会っていきなり「你的要求是什么?」と言われ、率直な物言いにびっくりしましたが、おかげで復旦に受け入れて頂くことになりました。

私が上海にいたのは2012年4月から9月。ちょうど、石原発言で尖閣の問題が先鋭化し、反日感情が高まった時期です。8月、9月になると、留学先で知り合った日本人は日本人街へ避難していきました。日本人の女子留学生が、真夏なのに厚手のパーカーをすっぽり被って顔を隠しながら歩いていました。いつもと同じ生活を続けた私に、いつもと変わらず接してくれたのは、権力に関心のない方々、そしてこの先生でした。

当時、私はこの先生と英語でやり取りしていました。中国語が下手なくせに、文法的に正しい格式ばった中国語を使おうとして、話すのも書くのも躊躇われたからです。今、私は短い手紙なら中国語の方が書きやすい。ブロークン中国語です。台湾に居たことを報告したら、台湾滞在経験がある先生は、台湾風の中国語で返信してくれました。

あれから6年半。助けてほしい時には声をあげてみなさいと、教えてくれたのは中国で、台湾でもそれは同じことでした。小さなことですが、日本では、人に迷惑をかけないようにしなさいと教えられます。ずっと迷惑をかけないように気をつけていると、人に甘えるのが下手になります。

2月5日は春節です。どうか皆さん、新しい年も健康で、良いお年をお迎えください。

デビュー間近

今日、お返事したこと。

一番下のレベルですが、管理職の仲間入りをお受けしました。

ずっとやりたくなかった仕事。権力に関心がないのです。自由な時間があってやりたいことが出来れば、それでよかったのです。

周りはあまり説明をしてくれる人たちではありません。楽ではないだろうなと思っています。故意に足を引っ張る人はあまり多くないと思いますが、サポートしてくれる人がどのくらいいるか、サポーターと上手くコミュニケーションがとれるか、不安です。

それでも二つ返事で引き受けたのは、次の世代に回していかないといけないからです。私の部署では、女性の管理職、初めてなのです。たぶん、これが私の役割だと思います。

それでも気が重いですから、平成最後と新元号最初のラベルがつく、ダブル当たりくじ!と思うことにしました。だって二度とない機会でしょ。

謙虚でいると潰されそうなので、少しタフにならないといけないかもしれません。1980年代の話みたいに聞こえますが、これが現実です。

信じられる人、信じる人

悩んでおります。明日お返事しなければならない事があります。5%くらいは覚悟しておりましたが、明日は腹を括れと、先輩格の方からアドバイスを頂きました。あなたに出来るとも仰ってくれました。今の職場に来て十数年、ずっとこの方の背中を見ながら歩いてきたので、その言葉なら無条件に信じることができます。

これまで、私は自分の時間を何より大切にしてきました。それがある程度制限されるのはわかっていますし、ややこしいことはたくさん出てくると思います。

でも、どんな時でも、この方は正面から対応してくれます。話を聞いてくれて、私が次の一歩をためらっている時に、後ろからドーンとかポンとか、背中を押してくれるのです。私は今日きっと、背中を押してほしくて、この方に相談したのです。

ちょっと「金城夏子」になった気分で、腹を括ってみようと思います。

首里城で来月から東のアザナエリアというのが一般公開されるそうです。

沖縄タイムスに出ていた写真が、いつかの夢の光景を思わせる風景で、それだけが理由ですが、もう一度行ってみたくなりました。

3月の沖縄旅は那覇一泊の予定です。お買い物と東のアザナ、どっちにしようか今から迷っています。

そういえば那覇で目的地のあたりを歩く時はいつも雨。首里城、玉陵、やちむん通り、土地公様。いつも雨。

どうかお天気に恵まれますように。

地図を眺めて思うこと

地図を見るのは大好きです。これは嘉義の戦利品です。

市販のガイドブックは重いし、不要なページの方が多いし、買わなくなりました。

 

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最近は、ご自身で歩いたことがある方に、こちらの知りたいことプラスアルファのカスタマイズ情報を頂きながら旅行することが多くなりました。飛行機を降りたらGoogleマップか周囲の人に尋ねながら現地のホテルや観光案内所まで行き、そこでフリーマップやパンフを頂きます。方向音痴にかけては世界選手権代表レベルだと思いますので、誰に聞いても何回かはぐるぐる同じところを回ってしまったりします。だから、地図もGoogleも役に立っていないかもしれないのですが、それでもどうにかなるのが台湾です。

さて、その嘉義の市内地図の裏が、スイーツ系カフェのガイドになっていました。イラストが可愛いです。こういうカフェ文化って、台湾で流行っているのでしょうか。個人的には、台湾のスイーツはかなりボリュームがあるので、もうちょっと小さくしてほしいのよ…と思っています。

わたしは豆花があったら、それで十分です。実は今回、嘉義では食べ損ねました。黒糖タピオカミルクティーも飲み損ねました。だから、心にぽっかり穴が開いたような気持ちです。嘉義の豆花、美味しいのです。古早味…などと書いてあったら、私は「猫に鰹節」という感じになります。

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帰国する勇気

何だか変な旅行でした。

いろいろ楽しい思いはしたのですが、人生初、旅行を中断して帰国しました。それも、明確な理由がないまま直感的に、です。

当初は、2日目は宿泊地の嘉義から虎尾に行ってサトウキビ列車を見よう、そして最終日に市内観光を少し、と思っていました。でも2日目の朝になると、せっかく嘉義に来たのだから地域の歴史を知ろうと、市内見学に切り替えました。結論からいうと、かなり充実した一日になったので、予定変更は正解でした。

ホテルに戻って翌日のプランを考え、虎尾を見てから台北か、それとも台北に戻って三貂嶺か基隆に行こうかと迷っているうちに、いつの間にか眠っていました。夜中に胃の辺りの鈍い痛みで眠りが浅くなったところに、仕事のメールが入って来ました。いつもは夜中メールは無視しますが、一応目を通しました。すぐに対応する必要はありませんでしたが、目が覚めてしまいました。痛みはだんだん強くなり、かといって、病院に行くほどではない。亡くなった祖母の夢を見たことも重なって不安になり、もしフライトが取れたなら旅行を切り上げて帰ろう、と思いました。普段はそんなこと思いません。現地で病院にかかっても最後まで滞在する人です。でも、その時はあまり迷うことなく、帰った方が良いと思いました。

夜中の2時頃、変更条件を確認してフライト検索。追加料金で席がとれました。ホテルは当日夕方6時までに連絡すれば無料キャンセルできたので、フライトの追加料金と差し引きでトントン。ホテルにもメールを入れて連絡しました。こんなにスムーズに手配できるなんて、これは多分、帰れという天の声と理解しました。

今回、会いたい人もいたのですが、なぜか事前に連絡する気にならず、グズグズしておりましたが、結果からいえば連絡せずにいてよかったと思いました。縁があればまた会えるでしょう。

今回は計画段階から、遠くに行こうと予定を立てれば、途中で「やっぱりやめとこう」という気分になる、という繰り返し。実は出発の1週間前に、行くのを止めようか、短縮しようか迷っていました。でも、せっかくフライトも休暇も取ったのだし、行かなきゃと思う気持ちも強かったのです。やっと決まった旅程を変更するのは、なんというか、勇気が必要です。

旅先で体調を崩したことはこれまで何度もありますし、その度にどうにか乗り切ってきたわけですが、今回は「もうここでやめて良し」のスイッチが初めて入りました。あまり落ち込むことなく判断できたのは、ヨガの先生がレッスン中によく仰る「自分を責めないで、今の状態をそのまま見てあげてください」という言葉が脳裏に浮かんだからでしょうか。

朝目が覚めたら痛みはどこかへ消えておりましたが、最終日にちょっと遠出しようと思っていると痛みがぶり返しました。「ああ、これは行くなというメッセージだ」と思い、動き回るのは諦めました。

他人が聞いたら、何だそんなこと、程度の話です。私も自分が体験するまではその感覚を本当には理解していませんでした。人生の少し先輩たち男女5人から、それぞれ別の機会に、50歳前後のショックなことについて話を聞いたことがあります。それは、慣れた外国へ出張に行った時に、それまで経験したことがない心身の不調で突然寝込んだり、緊急帰国した体験談でした。そんな事態に直面した時はとてもショックだったそうです。なかには、自分はそんな弱い人間ではないと信じたくて、なかなか現実を受け入れられなかった方もいらしたようです。そういう話を聞いていなかったら、私もショックを受けていたかもしれません。

私なりの解釈ですと、旅もほどほどに力を抜く時期に入ったのだと思います。時間ばかり見ていたり、駆け足で詰め込んでばかりでは、昨年のプユマ号の事故みたいになってしまいます。しかも今回は仕事じゃなくてゆっくりしようと来た休暇ですし、ギリギリまで頑張る旅では本末転倒です。

自分の判断が間違っていないと確信できたのは、帰ると決めた時、そして帰国の手配を調えた時、ホッとしたからです。

おかげで台北では買い物三昧になりましたが、限られた時間を効率的に使うことができました。

帰国してから、ちょっと行き詰っていた仕事に新鮮な気持ちで取り組めるようになりました。切迫感が消え、楽しくなっています。ただ、体内時計が台湾時間のまま、なかなか戻りません・・・。

次回の休暇は石垣島です。これもチケットとホテルは取ってしまったので(笑)行きます。さて、どんな風に過ごしましょうか。